おはようございます、あじさいです。
台風が来ています。どうかご安全に…
オリンピック終わりました。開会式と閉会式のあの何のストーリー性も訴えたいこともない(ように見える)演出には唖然としました。(パフォーマーをくさす意図は全くない)
昨晩、娘とLINEで話しながら観てたんですが、後夜祭か??ってお互い感想を言ったすぐ後にほんとに高校生が出てきてびっくりしたり。
締めに意味の分からない人選、夜10時過ぎてるのにこどもが出てきたり。
だだっ広い空間が物理的にも心理的にも寒々しかったなぁ…
前回リオでの閉会式での日本のパフォーマンスを知っているからこその落胆というか。
かっこいいもの、人に訴えるものを作り上げ、魅せる力のある人やグループがちゃんと存在しているのにも関わらず、それを排除し、「やっつけ」のようにしか見えないものしか世界に向けて発信できないこの国の現状を考えるにつけ絶望します… (国の発揚の場というオリンピック自体必要かどうかは置いておき…)
公式じゃないので貼り付けはグレーですが、もう全て終わってしまったんで、いいでしょう。この画面の映像が出てきた時、鳥肌立ちましたよ。(前総理のパフォは、うん、まぁ…)
このクオリティそのまま、開会式閉会式を行える世界線があったはずなのに。
日本の文化の混淆具合、キャラクターやゲーム、アニメなどの独自のカルチャーと、歴史、文化財などなどを絡ませて、多面的な、多角的な日本を知ってもらえる好機だったのに。
途中、選手たちが飽きてしまってるのはむべなるかな…
ただただ残念。
今日の朝日新聞「折々のことば」に、コラムニスト天野祐吉の言葉が引用されていました。
貧しい言葉で豊かな明日を語るくらい、人びとをシラケさせるものはない。
(天野祐吉)
ここでは「言葉」だけれど、オリンピックの開会式閉会式について言えば、「演出」を入れてみればその通りだと思う。
貧しい「演出」で豊かな「明日/未来」を語るくらい、観ている私たちをシラケさせるものはない。
それでは。
あじさい
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