主観と客観。凝視と俯瞰。自分はいつもいつも正しいのかな。
決めつけてること
晴れはうれしい。雨は鬱陶しい。
「カルテット」の1話で、
綿来すずめ
「でもどうして曇ってると天気悪いって言うんでしょうかね。いいも悪いも曇りは曇りですよね。私は青空より曇った空のほうが好きです」
って言う台詞があるんです。
ああ、確かになぁって。どうしていつも晴れは歓迎されて、良いことで、曇りや雨は悪いんだろうって。曇りや雨は悪者…
雨のイメージ
洗濯ものが乾かない。
寒い。
濡れるのがイヤ。
服が汚れる。
気分が落ちる。
でも。
土に恵みをくれる。
花粉やホコリを静めてくれる。
空気を澄ませてくれる。
太陽のありがたみを感じさせてくれる。
畑で作物を作り始めてから、タネを蒔いたり苗を植えた後に雨が降るととても嬉しいんです。
開く
毎日こころがなくなるくらい忙しくしていると、だんだん自分の気持ちが凝り固まってくるのを感じます。
寒さで背中がこわばって、頭もこころも柔軟性をなくしていく感じ…
でも、このドラマの台詞は閉じてた何かをちょっと開けてくれた感覚がしました。
自分が信じて使ってる言葉にしても、常識にしても、身につけた考え方にしても、それって自分が思い込んでるだけで、自分の体から離れて空からこの世界を見ることができたなら、ぜんぜん違ったふうに見えるのかもしれないなぁ。
見えてるのに見えてないもの。開いてると思ってる目が実は開いてないこと。そんなことがこういう台詞でふいに気づいたり。
周りの人間に対しても
毎日の生活の中で、まわりの家族や友人や同僚に対して、「〇〇なひと」というレッテルを貼ってる部分ありませんか。私はあります。レッテルという言い方はあまり良い響きじゃないか。
優しい。穏やか。こだわる。負けず嫌い。自己中。長いものに巻かれる。ぶれない。頭がいい。おもしろい。
そうやって決めつけておいて、その人とのやり取りの中であれ?と思ったりすると、そういう人だと思わなかったのに、と相手を責めたり。
あなたはこういう人なんだから、こうこうすべきなのにと決めつけたり。
自分に対しても。小さい頃からこんな子、って親や周りの大人に決められたり期待されたり。そうしていくうちに、そんな子、そんな人になっていって…
外す
自分への刷り込みも、他のひとへの思い込みも、外すことができればとてもラクになるかも。
親は絶対的な存在で、仲良くしていかなきゃいけないとか。(距離をとってもいい)
毎日ちゃんとご飯を食べなきゃとか。(ちゃんとじゃなくてもいい)
洗濯掃除掃除ちゃんとやらなきゃとか。(適当でも死なない)
ふたりの子供の性格についても、長年思い込んでいるこの子はこう、あの子はこう、というのも、本人からしたら、決めつけないで、ってことになる。
夫に対して持っている長年の見方も。
お天気から無理矢理引っ張ってきたこんな結論。みんな、コロナで疲労が溜まっているし、お茶もごはんも誰とも一緒にできないし、政府はあんなだし、オリンピックに小学生を動員させるつもりらしいし、耳に入ってくるのはいやなニュースばかり。
せめて自分の精神は自由に。がんじがらめになってるかもしれない常識や慣習を俯瞰してみましょ!!

*************
お越し頂きありがとうございました。
あじさい
コメント