4年前に読んだ本。過去記事を編集しています。
「ミニマリスト」という言葉が流行の最先端になったのが2016年。
その頃、図書館に予約をして半年待ちました。本屋でもテレビでも一大ブームとなっているミニマリストの大御所?のような方の書いた本です。
ちゃんと見てはないのですが、著者がNHKの朝の情報番組で取り上げられたとき、カーテンもないテーブルもない部屋を見て驚いた人が多かったとか。
どうしてここまでミニマリストと呼ばれるひとや生き方が焦点を当てられるようになったのか。
モノを持たないという考え方がどうしてここまで人を惹きつけるのか。いろんなミニマル関係の本が並んでいる中で、先駆者のようなこの方の本を読んでみたい、とずっと思っていました。
気になった箇所を抜き出してみます。
持ちモノを自分に必要な最小限にする、ミニマリスト(最小限主義者)という生き方。その生き方を通して見えてきたのは、単に部屋がスッキリして気持ちがいいとか、掃除がしやすいとか表面的なメリットだけじゃなく、もっと本質について。つまりどう生きるか、誰もが求めてやまない「幸せ」を、自分の頭で考えなおしていくことだった。
私が断捨離を始めたときにも思いました。私はこれからどう生きるのか。どう生きたいのか、を考えないことにはモノを捨てることはできませんでした。
それを自分の頭で考えなおしていく作業。淡々とモノに溢れた部屋に住み続けるのではなく、ちゃんと頭を動かすことが必要なんですよね。
人はどんなモノにも慣れていく。だからモノより、経験のほうが幸せの「持続時間」が長いことが知られている。10万で買ったコートは着るたびになれて、喜びが失われる。しかし10万で友達と行った海外旅行は、思いだすたびにその喜びは同じように表現できる。思いだすほど楽しくなくなる、なんてことはないのだ。
モノに依存していたり、モノを得ることで充実感を得られたとしてもそれは一過性で、時間が過ぎるといつのまにか飽きていたり。
でも、自分が身体や頭を動かして得た経験はいつまでも色褪せず、心に残っています。私のなかでは、学生時代に友人と行ったヨーロッパ旅行の経験が自分の支えになっています。
自分を作ってる海外での経験
行動で得られた「経験」は、「モノ」と違い、借金のかたに取ったり、盗んだりできない。誰かが奪おうとしても「経験」は奪えないものだ。自分の外側にあるモノとは違い、いつでも持ち運びができる。どんな目になろうと、最後に残るものは「経験」である。
奪われない経験。例えば、運転免許を取ったとしても、そのまま運転しなければ運転できるようになりません。免許証というモノは得られるけれど、ただの身分証明になってしまう。でも、失敗しながらもちょっと恐い思いをしながらも、運転していけば、その技術は誰にも奪われない、自分のものとなる。
そういうものを増やすことは、周りにある物質のモノを増やすより、よりゆたかに生きていくための道しるべになるのかなと。
経験できるのは今しかない。だから「今」ため息をついている人は、生涯を通してため息をつき続けることになる。もし何か分かりたいと願うなら、今この瞬間から変わりはじめるしかない。明日も来週も実は存在しない。明日は来てしまえば今になる。1年後は来てしまえば、今になる。すべては今なのだ。
こういうことを考え始めると、日常の些末なことが気にならなくなります。使い古した言葉ですが、今をちゃんと生きること。流さないこと。忘れがちですが。
私たちの暮らしを劇的には変えてくれないかもしれないけれど(変えるのは自分自身)こうやって、助言だったり、背中を押してくれたり、違う視点を与えてくれたり、ありがたいなぁと思います。
私はミニマリストにはなれませんが、この本が売れている理由が分かった気がします。私も含めて、どうやって生きていったらいいか、を模索してるのかなと。その模索は終わることはないような気がします。
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お越し下さり、ありがとうございました。
あじさい
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