マンガを読んでいて気になる場面がありました。(過去記事を移しています)
海街diary
前にも引用したことがある、海街diary です。主人公の一番上の姉は、看護師をしています。気が強くいつも患者さんに寄り添おうと一生懸命な彼女が、ある日、自分の乳房に異変を感じます。
これはもしかして… と受診することにします。誰にも言えず、ひとりで検査結果を待ち、結果は良性でひと安心するのですが、次のような台詞があります。
実は私悪性腫瘍…つまりガンの疑いがあって検査を受けたんです。
結果的には大丈夫だったんですけど
でもこんなこと言うの情けないんですけど
当事者に寄り添おうとするのと当事者になるのとでは
天と地ほども違いました
ガンの疑いがわかってから なんだか家族とも距離ができてしまったみたいで
もちろん私が勝手にそう感じただけですけど
病気になったっていうだけで… 住む世界が違ってしまったみたいで…
患者になるってこういうことなんだって
はじめてわかった気がしました
少しでも患者さんの心に寄りそえたら… と思っていたつもりでしたけど
しょせんひとごとだったんですね
傲慢でした
海街diary 5 群青
その立場になってみないと、ほんとのことはわからない。看護師という立場から患者になって見えた今まで知らなかった景色、心境、想像。
ガラッと変わる瞬間。
海外で
私が海外に住み始めたのは2003年でした。ある国のそれほど大きくない都市。そのころ、日本人どころかアジアの人すらそれほど目にしない場所でした。
行ったばかりの平日昼間、幼稚園ほどの子供二人を連れて、マクドナルドに入店しました。通路がまっすぐカウンターに繋がっていて、その通路の脇に左右ともテーブルと椅子が置いてあり、たくさんの人たちが食事を楽しんでいました。
私たち三人がゆっくりとカウンターの方へ向かって歩いていく間、座って食べている人々が私たちをまじまじと振り返りながら凝視していました。
ぎょっとした顔。びっくりした顔。物珍しさについじろじろと見てしまうのでしょう。
黒い髪の毛を持ち、黒い瞳を持つ。ただそれだけのことで、私たちはエイリアンのようでした。異質なものとして見られる、その景色を未だに忘れることができません。
そして一時的に日本に帰国したとき、思ったものです。ああ、ここでは黒い髪の毛だからといってじろじろ見られることはないんだ、そうだった… 日本なんだから当たりまえの事だった… という感覚。自分がエイリアンであるという感覚、そしてそうではない場所があったんだ、と再確認する感覚。
カルテット8話
4人でいつも演奏しているノクターンに食事に来た別府くんとマキさん。
テーブルからステージを眺め、別府が「こんな風に見えてるんですね。」って言うんです。
視点の逆転。
確かに、演奏者が見ている風景と、観客とは全く違うわけで、立っている場所が違うと見えてるものが違うのは当たり前なんですが、それは心象風景って言う事だったりもするのかな、と。
マキさんにとっては、景色をガラッと変えるという方法が戸籍を買って違うひとになることだったのかもなぁと思いました。
そこまで追い詰められ、そんな選択しかなかったマキさんが寂しくて悲しくてしょうがないです。最終話、マキさんの心からの笑顔が見たい。それだけです。
今日はつらつらと、あまり繋がらないようなことですが思いついたことを書いてみました。
景色がガラッと変わる瞬間、変える瞬間。そんな瞬間を皆さんも経験したことがありますか。
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お越し頂きありがとうございました。
あじさい
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