私が親に対してしなくてはいけなかった唯一の事

私のこと

この年になっても親への恨みつらみが出てきてしょうがないので書くことにします。

親の呪縛から逃れられてないことに気づいてしまった
昨日の「哀愁しんでれら」を観て、自分と親、自分と子どもの関係についてあれこれ考えています。

 

毒親とまではいかないし、虐待されたわけでもないけれど、どうしても燻っている感情をどうにか成仏させたい。

 

親への一番どす黒い感情は何だろう、いつどの時点に戻ればいいんだろうと考えると、それは小学生の頃、そして中学高校生の頃。

 

まず、どうも父は男の子が欲しかったよう。私の下に妹がいて、男の子どもはいないからなのか、小学生の時にソフトボールをやらせ、巨人のキャップを被らせれていた。

 

ランドセルの色は紺色。黒に限りなく近い。

 

私は反抗するということがなく、親に愛されたいがためにきっといろんなことを我慢してたんだと思う。

 

ランドセルのせいで何回も嫌な目に遭ったなぁ。

 

親の転勤で行った地方で高校受験をし、行きたかった高校に合格できたのに、父の転勤でその学校に行くことはできず。

 

実は転勤は秋くらいに決まっていた。ただ、引っ越し先の県の受験システムが特殊で、中学2年の時に皆が受けているあるテストの成績が私にはないので、(内申+そのテスト+当日の受験の合計で合否を出す)受験をしたとしても行きたい学校に行けるか不安要素が多く、その時に住んでいた地方の高校を合格した上で、引っ越し先の県で同じような偏差値の高校が受け入れてくれるだろうとの父の安易な思い込みと勝手な予想で、そのまま地方で受験をした、という経緯がある。

 

結果、全ての受験が終わった3月に簡単に高校が受け入れてくれるわけもなく、その時にようやく受け入れてくれた唯一の高校があって、それは行きたくもない高校だった。

 

その高校に行かなくてはいけないのが辛かった。辛かったけど恨み言をぶつけることもなかった。

 

そして大学。その高校にたまたま来ていた大学の推薦を得ることができ、受験することもなく大学を決めた。受験したとしてもその大学には入れなかったと思う。難しいから。

 

父は大喜びだった。高校受験で後ろめたい気持ちがある父は、胸をなでおろしたらしい。いまだに、その高校に行ったから推薦もらえたわけだし、結果オーライだったと誇らしげに言う。

 

そんなことは全然ない、と私が言い張っても譲らない。大学には入ったけれど自分は受験してないというコンプレックスも生まれたし受験しないでちゃんと勉強しなかったツケが後から来てることも感じる。

 

でも父はとにかく自分の気持ちだけしか見えない人だから、私が辛かったという事を理解しない。理解したとしても、彼の狭い考えではその大学に入れたことで、自分が当時決めたことが間違ってなかった事の強化になっている。

 

 

 

ここまで書いてきて、私が思うに、その時その時に唯一私がすべきだったのは、

 

「嫌なことを嫌だと伝える」

 

ことだったと思う。

 

ランドセルが黒みたいな色なんて嫌だ。

 

ソフトボールなんてしたくない。野球なんて好きじゃない。

 

自分が望んでない高校になんて行きたくない。

 

私は親の思う通りの子どもになろうと自分のこころを隠して潰して言いたいことを言わずに来てしまったから、ここに至るまでこんなどうしようもない気持ちを抱えてるんだろう。

 

いやだいやだと、泣き叫べれば、その時にその気持ちは昇華していたのに。

 

結婚した後も、夫への気持ちをスルーして流して自分のほんとの気持ちをうやむやにしてきたし、やっぱり三つ子の魂百までなんだなぁ…

 

でも、ここ1年くらいは思ったことをスルーしないよう、自分自身を大事にするようだんだんと精神構造を変えられてるとは思う。

 

BTSの LOVE YORSELF / LOVE MYSELF のメッセージに助けられてます。

 

 

 

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お越し頂きありがとうございました。

あじさい

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