連続ドラマが放送されたのが2016年10月~12月。もう4年!!!!あの恋ダンスが流行ってからそんなに時間が経ってたんですね。
ようやく観ました。
このスペシャル放映直後、アルファツイッタラーのある方が、「現代社会の問題を全部乗せした啓蒙ビデオみがスゴくて途中でお腹いっぱい」ってツイートされてたのをたまたま目にしたんですよね。
確かこの方、去年のMIU404の時にも批判的に呟いてたから、きっと脚本家の野木亜紀子氏の放つ「もの」と相性が悪いんだろうなと思ったんですが、すこおしだけ、ほんのすこし、説教臭があまりにも強かったらどうしよう…とも思ってました。
細かいモヤモヤを取り上げてくれる
みくりが妊娠したと分かった後、ヒラマサが「全力でサポートします」と声高らかに宣言した時に、そうじゃない、と強くみくりが抗議したの、すご~く良かった。
ミソジニー&セクハラの代表みたいなキャラとして描かれていた灰原(青木崇高)が「劣化」という言葉を使って女性のことを表していたときに、ヒラマサのノリではあったけれども、そこに異を唱えているのも。
そして、本放送の時に、百合ちゃんが若い女性へ、言った言葉を思い出し…
自分の若さに価値を見いだしているのね。
私が虚しさを感じることがあるとすれば、あなたと同じように感じている女性がこの国にはたくさんいるということ。
今あなたが、価値がないと切り捨てたものは、この先あなたが向かって行く未来でもあるのよ。
自分がバカにしていたものに自分がなる。それってつらいんじゃないかな?
私たちの周りにはね、たくさんの呪いがあるの。
あなたが感じているのも、そのひとつ。
自分に呪いをかけないで。
そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい。
今回、呪いが女性だけにかかっているわけじゃない。同じように男性にだって「呪い」はかかっている。ヒラマサも父親からそんな呪いはかけられてたし、百合ちゃんが「男らしくあらねば」というのもまた呪いかもね、って言及してたの、良かった…
だから私は、アルファツイッタラーの方の言うことにはまったく賛成しません。選択的別姓だって、育休だって、働き方だって、セクハラだって、少子化だって、結婚にまつわる社会的な押し付けだって、全部全部私たちが生きてるこの社会の問題だもの。
単にみくりとヒラマサの仲良い雰囲気だけを楽しみたいっていうのもわからないではないけれど、お正月だからこそ、人気ドラマの続編だからこそ、こういう話を詰め込んだ野木亜紀子氏あっぱれ、です。
それに加えて、みくりとヒラマサの生活で起きる行き違いとか、表象だけの言葉をあれこれ誤解していく様子とか、人と人との関係で、一緒に居たとしたって分かり合えないことがあるっていうの、ほんとに当たり前のことを見せてくれたなぁって。
全てを肯定する世界
男同士のカップルとして、沼田(古田新太)と梅原(成田凌)、今回は百合(石田ゆり子)の友人として出演していた花村(西田尚美)が一緒に住んでいるのは女性だという設定もありました。
育休を取るにあたっての周りからの反発に対して、「さも当然のような」表情で育休を取りましょう、とみくりとヒラマサ2人で練習したりするのも、この社会でリアルにぶち当たる「現実」への違和感として、そしてそれに立ち向かう気合・気概として、機能してる。
「当たり前に」制度としてあるのに、みんなが仕事を休むなんて、と考えてしまって、「男が育休を取るのを躊躇う空気」に同調してしまってる部分を「当然」の権利として考えていこう、と。
そして、沼田さんと灰原とのやり取りで、
沼田「例えばね、突然の事故。家族の病気介護、自分自身の体調が崩れる場合もあるよね。育休でもほかの理由でも同じ。いつ誰が長い休みを取るかなんてわからない。働いているのは人間なんだから。そういうことでしょ。その時、何が大事かって言ったら、誰が休んでも仕事は回る、帰ってこられる環境を普段から作っておくこと、それが職場におけるリスク管理。」
働く側の権利、雇う側の考え方、それぞれへの解決策としてみんなが一緒に変えていけるといいなぁと。希望をもらえるようなセリフが良かった。
この「逃げ恥」が提起したい事のひとつとして、啓蒙ビデオと言われようが、私は逃げ恥でやってくれて良かったと思いましたね。
ただ、下記のこのツイートにもあるように、背負わせ過ぎ…っていうのもほんとそう…てなりました。
「星野源と野木亜紀子に色々背負わせ過ぎ」というのはホントにそうで、なんか時々心苦しくなるよ。
— ヨアケノ (@yoursilentface7) January 2, 2021
人はみんなひとり
誰かと一緒に住んでいても結局「ひとり」って言うのがほんとに好き。
風見(大谷良平)と1年半で付き合いをやめ、未婚で子宮体ガンになってしまった百合と、結婚して妊娠しているみくりとの間でかわされるやり取りの中、一緒に住んでいる人がいようといまいと、家族がいようと、それでも孤独を感じるってことについて話してました。
人ってみんなひとりなんだよね、っていう流れが好き過ぎました…!
これって、星野源が大晦日の紅白で初出した「うちで踊ろう」の二番の歌詞と重なってきてるなぁって。
生きて踊ろう 僕らずっと独りだと 諦め進もう
応援したいのは「持たざる者」だけなのか
しかし、どうもこのスペシャルには批判もかなりあるみたいで、本放送の時はみくりが就職できず家族にも頼れず、契約結婚を選んでいる状況だったけれど、今回は、正社員だし、夫のヒラマサは理解があるし、っていう環境の違い、みくりの不安だったり悩みだったりが贅沢過ぎるってことなのかな。
何にも持ってなかったみくり VS いろいろ持ってるみくり
っていうのが、「共感」というもののハードルを上げてしまったのか?
不幸なみくりは応援したいけど、しあわせそうに見えるみくりが悩んだり葛藤したりするのは応援したくないってこと?
それってかなり幼稚…?
人の不幸は蜜の味っていう言葉があるけれど、そういうのをドラマにもあてはめちゃうのか。
ドラマなんて所詮ファンタジー。もちろん批判するのは勝手だし自由。続編を作ってそれが本放送と同じくらいの熱量で受け入れられるっていう事の方が至難の業でしょう。
だとしても、このドラマのように、本放送時から「結婚の意味」や「労働や愛情の搾取」など視聴者に考えるきっかけをくれるものが地上波で放送されることの意義は大きい。
だから、批判もいいけど、本質的にこのドラマで言いたかったことも考えようねって思います。
コロナ禍の後半部分
しかしスペシャルに全て詰め込みましたね… コロナ禍の話になるとは予想してませんでした。
私たちが通ってきたコロナ禍の生活を辿るように3月4月の危機が迫っていくリアルな状況、その後の息苦しさが描かれてました。
会いたくても会えない。
ハグしたくてもできない。
みくりの父が好きだった志村けんがコロナで亡くなり、彼を悼もうとその場所へ行きたくても行けない…
そんなことになるとは、4年前には誰も思わなかったし、つい1年前の今頃だってそう。
後半部分が重くてつらいのは、世界に住む全ての人々が現在進行形で経験している「コロナ」の辛さをトレースしてるからだと思う。
こうも人は愚かになれるのか。
っていうヒラマサの独り言。ほんとにね。
それでも、前へ。
それでも、日々は進む。生活は続く。
ラストのみくりとヒラマサがマスク無しでハグできるようになったように、そんな日々がくると希望をもっていきたい。
風見さんが「ちょっと遠くにいけるように」運転免許を取ったこと、ひとりで生きていく人間だっている、と力強く言ってたこと。このセリフ、最後に入れてきたの、すごく効いてたなぁ。
誰かと生きていてもひとりで生きていても、また今日から首都圏で始まる緊急事態の中でも、希望を持って、どうやって生きていこうか考えて、日々を暮らしていきたいと思いました。
余談
みくりがつわりになった時に、友人のやっさんがマクドナルド(ぽい)のポテトをもってきてくれましたよね。
私のつわりのことを思い出しましたよ。
私の場合も炊き立てのご飯はダメでした。その代わり脂っこいトンカツが食べたくなりました。ジャンクほんとにオッケーでした。
足もよくつったし、尿漏れもそう。(ガッキーに尿漏れって言わせるのかなり斜め上)自分の体なのに自分じゃなくてつわりが終わるまでの辛さはかなりだったなぁ。
最近はNetflixの韓国ドラマばかりを観ていて、日本のよりも面白いわってなってたけれど、日本のドラマだって面白いのはある!!って思えて嬉しかったです。
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お越し頂きありがとうございました。
あじさい
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