この映画のヒットの話を聞くと嬉しさが… 近くの映画館もこの週末に全席開放されたというし、ようやく映画館に人が帰ってきた感じですね。
ネタバレなしの感想も書きましたが、内容に触れられないのはどうにももどかしい…

今日はネタバレありで書きます。
原作エピソードで入れてほしかったもの
マンガ原作のファンなので、どうしても比較しながら見てしまいがちなのです。あのエピソードがなかったなぁとか、これは映画オリジナルだなぁとかそういう視点で見てしまいます。
その中で、入れてほしかった… と思うもの。
携帯電話にパスワードをかける
今ヶ瀬(成田凌)は、勝手に恭一(大倉忠義)の携帯電話の中味をチェックするストーカー気味なひと。
原作では、携帯電話をいつもチェックしていた今ヶ瀬が、パスワードが掛けられていることを知り激怒するんだけれど、そのパスワードが4桁の数字。その数字が… なんと今ヶ瀬の誕生日。
会社の部下の女性と仲良くなっていた恭一がやましい気持ちもあって(?)パスワードをかけるんだけれども、その数字が今ヶ瀬の誕生日っていう、恭一ならではの行動がすごくこの2人の関係性を表してる~~!!!!と思っていたので、映画になかったのが残念…
と云うような事を同じように原作ファンで映画を観た娘と話していたら、娘曰く、原作当時(2006~2009年)は、折り畳み式の携帯しかなくて、パスワードも4桁だったけれど、現在、携帯電話と言えばスマホ、4桁のパスワードというものは少ない。顔認証、指紋認証がデフォルトになってたりもする。だから、誕生日の4桁という一番肝な部分を、スマホで反映させることが難しかったんではないか、と。
なるほど…
そうか… こういう小道具というかガジェットは一年違えば全然変わってくるから、反映させるのは大変なのは想像できる。(原作未読な方はここをチェックしてみてください!)
足を絡める
原作の窮鼠パート、最初の方に出てくるんですが、今ヶ瀬がパートナーのような人とカフェで座っていて、足を絡ませてるのを見た恭一が嫉妬する、という場面があります。
これがね、とても好き。恭一の今ヶ瀬への複雑な気持ちを表すエピソードとして、映画にもあるかなぁと期待してたんだけれどなかった…
今ヶ瀬の一方的な恭一への→が圧倒的な中、恭一が見せる感情に引っ張られるんです…
たまきのストーカー事件
ここは尺の問題なんでしょうが、たまきの物語をもう少し見たかったな、というのが正直なところ。
長い原作をひとつの映画にするには、かなり切らなきゃいけないところが多かっただろうなぁと難しさを感じます。
でも、その代わり、今ヶ瀬と恭一ふたりの物語に特化していて映画の良さもあり、これは媒体の違いからどうしようもないものだと思います。
原作にないオリジナルで好きなもの
私が気づいた箇所だけなので、他にもまだまだあるかと思いますが。
カールスバーグのビールを選ぶ
夏生(さとうほなみ)と今ヶ瀬がベトナム料理屋に来ている。夏生はシンハーを頼み、今ヶ瀬がカールスバーグを頼む。そこに恭一がやってきて、カールスバーグを頼む。
ここで、今ヶ瀬は笑うんですよね。夏生へのマウントというのも含ませる笑み。ここの今ヶ瀬良かったな… 今ヶ瀬演じる成田凌は色んな役を自分にもってくるのが上手い俳優さんだなと常日頃思ってるんですが、(ふれなばおちんの佐伯龍で堕ちた)この今ヶ瀬も彼のエピック的キャラになったことは間違いないと思ってます。
こういう小物を使って表すものをあれこれ考えるの楽しいです。
コートの交換
実はこの部分は私は気付かずにいて悔しいんですが。友人と映画鑑賞後に長い時間オンラインで会話をしたときに教えてもらいました。
釣り堀に行って、その後たまきからチーズケーキもらって、北京ダック食べに行く流れのシーンで、2人が着ていたコートが、交換されてた!!!
ピンク系のコートと黒?のコート。これ、気づきたかったなぁ。こういう細かい演出いいですね… 1回見ただけでは気づけないところたくさんあるんだろうなとつくづく…
恭一の部屋、スツールに座る今ヶ瀬
スツールに座る今ヶ瀬の姿がとっても印象的でした。儚げで悲しそうで、でもあの部屋での存在をともに見せていた大事なスツール。
今ヶ瀬が居なくなった空間に置かれてるスツール。そこに座るたまきを見ていたたまれなくなる恭一。そして最後にそのスツールに座る恭一。
この小道具の使い方、すっごくスタイリッシュな上に切なさすら感じさせて参った、って感じです。
恭一の部屋の作り込みかたもすごいし、キッチンのこだわりみたいなものが感じられるし、そしてこのスツール。原作の恭一の部屋はがらんとした感じ。それほどかっこよさげでもない。
この映画の中で、恭一の部屋の占める割合が多くて、この作り込みが映画の雰囲気に繋がっていて、おしゃれな感じだけじゃない、ふたりの大事な場所っていうのかな。実写化の醍醐味のようなものを感じてただただありがたかった…
今ヶ瀬が恭一の下着を履く
原作にはなかったような… (あったらごめんなさい)
今ヶ瀬というキャラクターは勝手に履きそうなんですよね。そして恭一の下着に顔を当ててくんくんしていたところ。かなり刺激的だったけど、ほんとにやりそう。
束縛したい、自分のものにしたい、その欲求が激しすぎる今ヶ瀬を表す描写としてとても成功していると思いました。
疑問に思うところ
実写化するにあたって、エピソードをそのまま使ったところ、新しく加えたところ、削除したところ、いろいろある中で、やっぱり疑問な点もあり…
それが、最後の方で、恭一がゲイバーのようなところを訪れるシーン。原作にはありません。これはどうなんでしょう…
ゲイバー自体もそうだし、出てくる男たちの雰囲気もそうだし、画一的な表し方にどうにも違和感が…
恭一の苦悩を表しているとは思います。ゲイである今ヶ瀬、たぶんそうじゃない自分に横たわる大きな川のようなもの。
パンフレットによると、行定監督は、このシーンについて、
原作から逸脱したシーンを作りました。ゲイバーに行くのはちょっと乱暴なんですけど、
と乱暴なことは認めています。ここに理由があることも説明されています。
ただ、映画もドラマもすべて作品というものは、実際作られたものの中で完結すべきだと思うので、インタビューも含め、説明することで補完するというのではなく、観た者がどう感じるか、どう此方が受け止めるか、がいちばん大事だと思ってます。
原作ではそもそも恭一は独り言をよくしゃべります。頭の中に悪魔と天使を住まわせていて、言い合いをしています。でも、映画では喋らない。そういう葛藤のようなものを原作ではセリフで表しているけれども、映画ではできない。
だから、恭一の奥にある苦悶を表すためのゲイバー演出だったと思います。(ただ、もうちょっと違う形にもできたような気もする)
あともう一つ。
原作ファンには重要だと思われるのがラスト。原作とは違うのですが、ここをどう取るか。
私は観たばかりの時には、ええええええええ!!!とかなりショックでした。終わり方が全く違うので、原作のようにしてほしかったな… との思いが強く強く。
でも、数日経ったら。これがいい、と思うようになりました。
実写化がすべて原作を周到に再現すべきものである、という考え方があるのと同時に、実写は実写、同じである必要はないという考え方もありますね。
二次元のものをどこまで再現するかというのと、新しく付け加えた部分があるのかどうか、どう一つの作品に作り上げたか、を楽しめるのが原作のある実写だと思うんですが、この映画はその部分をかなり楽しませてもらいました。
だから、ラストが違っても、エピソードが削除されていても、私はこの映画で今ヶ瀬と恭一が二次元だったものから三次元に息をしている人間になり、俳優の方の再現性も素晴らしくて、観れたことが嬉しい。
キャスティング
恭一を大倉忠義、今ヶ瀬を成田凌にキャスティングしたことで世界観が出来上がっているという意味でほとんど成功したんだと思うんです。ネタバレなしにも書きましたが、この2人の身長差(恭一がちょっと低い)、原作そのままなのがほんとツボで…
海での2人のシーンの美しさは息を飲むほどでした… そこでのセリフが、原作・映画ともに流れているテーマだと思うのですが、このシーン良かったなぁ…
今ヶ瀬「心底惚れるって、その人だけが例外になっちゃうてことなんですね」
恭一がラストに清々しい顔で今ヶ瀬が使っていた灰皿を部屋に置き、スツールに座っている。今ヶ瀬が帰ってくるかこないかわからない。それでも待つと決めた恭一の出した結論が希望を感じさせているのに、今ヶ瀬は他の男と一緒に居て、顔を覆いながら泣いている。このアンバランスさがまさに2人の関係なのかもしれない。
長くなりましたが、映画ってやっぱりいいですね… 映画館で観る映画のありがたさが体の隅々にまで染みわたります。
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お越し頂きありがとうございました。
あじさい
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