かわいそうという言葉を使いたくないことについて

徒然

ニュースに流れる事件や事故。ここのところの大雨災害のひどさには何を言っていいのかわからなiいです。

かわいそうという言葉の意味

こういうニュースを見ていて事故や事件の被害者のことをいつも「かわいそうだなぁ」と言う言葉を使う人が身近にいます。(家人は使いません)

それを聞いていて、「かわいそう」という言葉が持つ意味ってなんだろうって考えるんです。

事故に遭って「かわいそう」。災害に巻き込まれて「かわいそう」。

この言葉の持つ他人事感、自分は高みの見物で、関係ないところにいるからこそ言えること。

「かわいそう」と言ったあとに、「それに比べるとありがたいなぁ」と続く。

自分たちはそういう事故や災害に遭わなくて済んでいて、災害の起きるような場所に住んでいなくてありがたくてよかったなぁという意味だと思う。

「かわいそう」な人を見て自分のしあわせ加減を噛みしめ、相対的なしあわせを確認したい、そんな感じ。

実のところ

「かわいそう」というレッテルを貼って、自分はそれに比べてしあわせだ、という思考。実は自分自身の「かわいそう」な部分を慰めているようにも思えます。

彼は7年前に妻を不慮の事故で亡くしました。喪失。耐えられないくらいの思いを持ち続けているんだろう、と推測します。

今年80。

たぶん生い立ちなども関係していると思うのだけど(戦争に絡んで)、老いとともに身体が思うように動かなくなっていき、妻はもういないさみしさなど、自分がしあわせだと感じられないんだろうと思います。

しあわせの度合いって、ゼロサムじゃないと思うんだけど、人の不幸や不運を目にして自分がそれに比べたらしあわせだ、と考えるひとって少なくないような気がします。(Twitterを見てると特に)

誰かと比べて、じゃなくて、自分がしあわせだ、と感じれば、或いは決めれば、しあわせなんだと思いたい。

「あたし幸せだよ日帆!知ってる?幸せってね”幸せ”って思ったらもう幸せなんだよ。」

太陽が見ている(かもしれないから)8巻 いくえみ綾

 

私の敬愛する漫画家、いくえみ綾先生のマンガです。

 

いつ身に起こるかわからない

ニュースで流れる災害の状況に何もできない。そして災害を受けるのは明日は我が身からもしれない。

コロナのせいでボランティア募集ができないとか。そもそも国や県がやらなければいけないことをどれだけ人々の善意に期待してるんだ、と常日頃思っている。

何のために税金を集めてるんだろうとも思う。アメリカから戦闘機買ってる場合か。

政府が無能だけれど現場が有能だからこの国はここまで動いてきたんだなぁと最近とみに思うけれど、それにしてもGOTOキャンペーン前倒しとか、馬鹿さ加減には冷笑するしかない。

 

閑話休題。

 

災害が起きない場所っていうのはこの日本であるんだろうか?

地震。津波。水害。台風。

ここまで自然災害の多い国で逃げる場所はないような気がする。

それに加えて不慮の事故だって、いつ何に巻き込まれるか誰にもわからない。

でもだからと言っていつもびくびくしながら生きるのもごめんだなぁと思う。

最近、ストレスなのか歳相応の何かしらの症状なのか、お腹が空いてしょうがなくて、毎日何を朝食で食べようか昼食に食べようか、いつも考えている気がする。

セブンイレブンのお惣菜や冷凍食品が美味しいという評判をあちらこちらで聞くので試してみたりもしている。

おいしいと自分が感じるものを食べて飲んでこうやって文字に書いて、毎日淡々とやっていきたいなと思っているところです。

それでは今日もご安全にいきましょう。

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お越し頂きありがとうございました。

あじさい

 

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