タイトルを見て、中島みゆき/TOKIOの「宙船」を思い出した方、正解です。
他から軽んじられるのは自分を軽んじているから
昨日、女性だからみくびられる、と書きました。

書いた後、女性だから、というのは半分合ってるけど半分は違うかも… と思い至りました。
みくびられる雰囲気ってあるんだと。
他人がそうやって扱ってもいいですよ、というような雰囲気を醸し出してるのかもしれない、と。
誰かと話をしているときに「あれ?」と引っかかったことを流してないか?
「流す」ってことは、相手の態度や言葉の選び方に「OK」を出してることになる。ということに気づきませんでした。
自分の感じたことを表に出さない=相手の言動を容認した
言葉に出さないと相手には伝わらないわけですから、相手は私の気持ちなどわかるわけありません。そこにノーと言わなければ、容認したと思われても仕方がないわけです。
容認したと思われるってことは、自分の中に生まれた感情なのに、自分でその感情を軽んじてしまっていることに繋がると思うのです。
相手にオールを渡さない
その船を漕いでいけ
お前の手で漕いでいけ
お前が消えて喜ぶ者にお前のオールをまかせるな
中島みゆき 宙船(そらふね) 歌詞 - 歌ネット中島みゆきの「宙船(そらふね)」歌詞ページです。作詞:中島みゆき,作曲:中島みゆき。(歌いだし)その船を漕いでゆけおまえの手で 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。
この歌詞沁みますね…
周りの人の中で「お前が消えて喜ぶ者」なんて居ないのかもしれないけれど…
私のこれまでの人生、自分の「オール」を他人に任せてばかりだった気がします。特に結婚してから家人に。
自分で考えることをせずに、家人の機嫌が悪くなるのがいやで思ったことを言わない生活。
教師をやっていたときにも周りの同僚や生徒に言いたいことを言わずに流していたら、都合の良い人になってしまっていたこと。(これについては別記事に書いています)生徒から信頼されなくなっていったこと。

全て自分がオールから手を離していたからだと思います。
例えば、私はひとりで生活したことがなく、虫を家のなかで見つけた場合、自分で処理することができませんでした。(今でもやりたくない)誰かにオールを渡して処理してもらってました。
例えば、車の運転。
運転歴13年。普通に運転します。でも、家人の送り迎えをしていたとき(今はなし)家人が運転をします。私が迎えに行っても帰りは家人。
どこかへ送りに行くときも、家人が運転。
それをね、やめました。
私が運転する、と宣言しました。
自分の方が運転技術が低いです。それでも、誰かにオールを渡していちゃだめだ、とちっちゃなことかもしれないけど、思ったんですよね。
責任を持つ、家のことは自分ですべて請け負うくらいの勢いで誰にも何も言わせないくらいの気持ちでいこう、と。
私がそうやって態度を変えていったら、家人の態度も変わってきました。
私の母や義母
車の運転と言えば、母や義母を思い出します。
ふたりとも、年齢や世代があると思うのですが、運転を全くしませんでした。母は免許すら持ってなく。
両方とも配偶者のいう事をはいはいと聞くタイプ。我慢して自分の言いたいことをあまり表に出さないタイプ。
配偶者が亭主関白(死語…)タイプだと、言いたいことがあっても自分さえ抑えれば、と思いがちなんだと思います。
でも私はそんな関係は御免だ。
「なんでもいい」、は操られやすい
何かを食べるとき、どこかレストランに行くとき、「なんでもいい」はダメ。
私はずっとそうでした。
家人がこだわりがある人なので、面倒だから自分の考えは出さなかった。というか、考えないようにしてたかもしれない。
でも、そうやって自分が考えることをやめていくと、やっぱりみくびられるんだと思います。
食べたいものをちゃんと考えて言語化する。
やりたいことを紙に書いてひとつひとつ実現していく。
相手の気持ちも大事だけど、まず自分の気持ちの方を優先する。
嫌なことは嫌だと言う。
不快なことは不快だと表す。
そういう習慣を1から始めていけば、自分を軽んじることなく、みくびられることなく、自分が有効であると感じることができていく気がします。
女性であることに嫌悪することなく、性に振り回されることなく、生きていきたいものだなぁと思います。
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あじさい
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