今日書くことは私の経験から考えたこと。
他人軸で生きてきた
つい一週間前、実家に帰ったときに考えたこと、父への思いを書きました。

このブログでも何度も書いているので、自分でもひたすらアダルトチャイルドだと思うんですが、まとめておきたいと思いました。
小さいころから親からの期待と締め付けをちゃんと守って40代まで生きてきちゃいました。それが間違いだった。と、40になって気づいたのは、下の娘のおかげでした。
そこから変わろうとしました。教育に関しての考え方(どんぐり倶楽部)に救われたこともありました。数年かかったけれど、変われた、と思ってました。でも、長年の考え方のクセと習慣が沁みついていて、ほんとに難しい。
親と言う他人の軸でずっと生きてきた、親からの愛情が欲しくて、承認が欲しくてそこに合わせて生きてきた時間が長すぎて、どれが自分の考えでどれが親の考えなのか、ごちゃごちゃになってた。
結婚してからは親がそのまま家人になっただけでした。
誰かの承認は要らない
親からの承認が家人からの承認に切り替わっただけで、そのまま自分の考えを出すことがどういう事なのかわからなくて、どこかへ追いやって、いつも誰かの好みに合わせて生きてきたんですね。
家人と衝突するのがいやで、諍いがいやで、自分の気持ちが浮かんできても、それを出さずにしてきた時間が長かったです。
でも、上記の記事に書いたように、実家で父親への気持ちに諦めがついたことで、憑き物が落ちたかのように、家人への気持ちにも変化がありました。
気づいたんです、どうも私は、結婚前は親の、結婚後は家人の ”気持ち” に自分を同化させてきたんだということに。自分の中にある気持ち自体をぞんざいに扱ってきたんだということに。
誰かの承認なんて要らないんです。
誰かがどう思おうと、私には関係ないんです。そこを忖度する必要なんて全くないんです。親だろうが配偶者だろうが。
自分自身がどう考えているか、それだけなんです。
なんて当たり前な、なんて簡単な、って思われる方もいるでしょうね。でも、それが当たり前に考えられなかった自分に嵌められた見えない枷の存在をひしひしと感じます。
自分をぞんざいに扱うと
自分の気持ちをぞんざいに扱っていると、他人(家族もほんとの他人も)からもぞんざいに扱われます。私の経験がそう語っています。
私が教師をやっていた時、部活の顧問もクラス運営も上手くいかなったこと、それが原因だったと今振り返ると思います。
信念というような硬い言葉じゃなくていいんです、自分が考えていることをちゃんと自分を欺かずに出せればそれでいい。
誰が味方してくれなくても、自分だけは自分の味方でいなきゃ。
モラハラやパワハラも
モラハラパワハラ、やるほうがもちろん悪い。当たり前。
でも、社会にいると、そういう人から逃げられない場合もあったりします。
されてる方がそんなハラスメントから避けられる方法があるとすれば、それは、相手に対して怯まない、媚びない、自分を欺かない、ことで何かを見いだせるんじゃないかな、と思ったりしています。
加えて、簡単にあいづちを打たない、反対ならば、言われた言葉に対して相手をしない無視する、愛想笑いをしない。
人間関係や親子関係夫婦関係で同じような悩みを抱えている方々に届けばいいな、と思います。
私が悩んでいるときに、友人が勧めてくれた本です。
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お越しいただきありがとうございました。
あじさい
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