母の急死と後悔と

先週の土曜日、実家の母が急死しました。

このブログで母の病気について何年かに渡って書いてきました。レビー小体型認知症を発症してから5年とちょっと。思ったよりも早い死に動揺しています。
食事中に倒れたようです。その日は朝からかなり調子が悪くベッドの中でほとんど寝ていたとのこと。夕飯を食べさせるために起こして、小さい細巻き寿司を一つ二つ食べたかどうか、くらいのところで急に脱力したそう。
父はすぐに妹に電話するも繋がらず、私にかかってきました。土曜日の夜6時過ぎくらい。
ふだん父から電話などかかってきたことがないので、もう何かあったなと思いました。その前に父から直接かかってきたのは4年前くらい。母の様子がおかしいから来て欲しいと、認知症の症状が急に悪化した時でしたから。
すぐに救急車を呼ぶよう言い電話を切りました。私より妹の方が実家に近いので、LINEをし電話をかけ続け、私は私でとにかく実家に帰ろうと支度を始めました。
父に連絡を取ると、心臓マッサージをしてもらって救急外来に来たとのこと、私がすぐさま帰る、と言うと、そんな必要ないから、との話。まだ切羽詰まってないのか?
でも何も手につかないし、調べたらまだ新幹線には乗れる時間だし、とにかく向かおうと電車に乗りました。
電車に乗るまで1時間ちょっと、乗ってから30分くらい経った時だったか、妹からLINEが来ました。心臓マッサージを3回やった。あと1回やってだめならばもう救命措置をやめると言われた、とのこと。
ああそうか。もうだめなのか。
新幹線に乗る直前、最終的にやはりだめだったと再度LINEが来ました。でも、涙は出てこないんですよ。急過ぎて、ぼぉっとしてしまって。
確かに母は元気ではなかった。お正月の時にも、もう反応が返ってくる会話も1日20分もあればいい方で。歩くのも立ち上がるのも苦しそうで。
でも突然こんなに突然逝ってしまうとは全然予想してなかった。だんだん弱ってくるとは思っていたけれど、病気の後期に入ってきたなぁとは思っていたけれど、突然居なくなるなんて思いもしなかったんです。
病院までの時間をどうにか過ごして、ようやく対面した時にどっと感情が溢れてしまいました。亡くなってから2時間経っていて、もう既に冷たくて、親の死に目に会えないって言う迷信を信じず、夜に爪を切っていたのを思い出して心から後悔しました。
もうひとつ、後悔したことがあります。
もともと1月29日が母の1ヶ月に一度の神経内科の受診の日でした。私は毎月病院に付き添っていて、その日も帰省する予定だったんです。
で、お正月とその29日の間でもう一回帰ろうと思ってました。母のためもあるし、父のためもあるし、自分のためでもあって、1月の真ん中あたりで帰ろうと。
それを父に言ったら、帰ってこなくていいからって、言われたんですよね。遠くに住んでる私に悪いってことはいつも思ってるみたいだし、どこかホームのような所を探すくらいギリギリの状態でもないし、とりあえず支えがあれば一人で歩けてトイレもかろうじて行けて、週二回ディサービスに通ってお風呂にも入れて、それほど大変なわけでもない。
だから、病院の付き添いに29日に来てくれればいいから、と。
それを受け入れて行かなかったこと、今とても大きな後悔になっています。やはり自分が行きたいと思った時に行けばよかった。その時にはもちろんこれが最後だなんて思わず普通通りに過ごして数日が終わってしまったんだろうけれども。こうやって今更後悔しても詮無い事をぐるぐる考えてしまいます。
思い返してひとつだけ良かったこと。
去年の年末からお正月にかけて、私の予感で、もしかしたら最後のお正月になるかもしれないと感じてました。
だから、夫にもそれを伝えて、仕事関係で忙しかったのを無理言って実家へ来てくれるよう頼みました。これは本当に良かった。最後の年末をみんなで過ごせて良かった。
お金がかかるから。忙しいから。それを理由に誰かに会うのを躊躇すると、後悔が募る。この後悔は後からとり戻せない。とにかく行動したいと言う気持ちが湧いてきたら、行動する、それに尽きます。
以前、学生時代に海外旅行をして買えなかったおみやげについて書いたことがあります。買いたいと思った時に買わずに後からって思っていたら同じものに出会えなくて何十年経っても忘れられない、という後悔について、です。
しなかった事の後悔。同じような経験をすることになってしまいました。後悔を昇華するためにこれからも書きます。母の病院に着いてから以降のこと、私自身の整理と母への思いなど現時点での備忘録にします。
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お越しいただきありがとうございました。

あじさい

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