ようやくアップします。劇場版おっさんずラブを観て思ったこと一本目。
期待どころか
8月23日の公開日、ライブビューイングの舞台挨拶付きを2回観て、1週間後に1回、昨日4回目を観てきました。
映画を作るという衝撃的なニュースを聞いたときに、勘弁してよ… と思ったことは確かです。ドラマは7話で短いながらも登場人物の気持ちを丁寧に描いていて、主人公ふたりが悩んでたどり着いた結末が素晴らしくて何度も何度も観返しては泣いてました。
完璧に終えたと思った物語の未来が描かれる…
それもドラマがヒットしたから続編を映画で作るというもの。
やめて欲しいとまで思ってしまった。今まで好きで何度も読んでいるマンガがたくさんあるけれど、続編読みたい読みたいと思いながらも続編がないからこそ、その世界が完結しているのかなという思いが強かった。
ベルサイユのばらの続編も気になってはいながら読んでないんですよね…
映画が公開になってもどうしようかな、観に行こうかどうしようか、くらいのテンションだったんですよ。
生の凄み
その日はたまたま行けたんです。空いてたんです。普通の金曜日は毎週用事があって行けない筈なのに、その日だけは空いていた、その偶然。
それまで持っていた映画への懐疑的な気持ちとか不安とかそういうものが、映画が始まった途端きれいさっぱり無くなってしまったんですよ!!!ほんとびっくりするくらい!
春田が生きて走り回ってるのを見たら、もうなんだかどうでもいいっていうか、なんでもいいっていうか、ああ春田がいる… ってなって。
映画作ってくれてありがとうございますってなりました。(この手のひら返し笑)
牧が牧が
牧が。
牧でした。
林遣都という俳優さんは宣伝でテレビに出てきてるのを見たり、舞台挨拶の話し方を見てると、決して器用な方じゃないんですよね。話ぶりも天然というか、うまくさばけないっていうか。
それが役に入ったら豹変する。牧になった時。牧以外の誰でもない。普段の器用じゃなさを見るにつけ、この役に入ってく感じが彼の持つ力なんだなぁと。
自分の中に役を取り込んでしまう田中圭、役が取り憑く林遣都、役を飼い慣らす吉田鋼太郎って感じ。
— ichi (@roku_blue) August 26, 2019
このツイートを見たとき、思いました。そうか。憑依させてるんだな、意識せずに。憑座(よりまし)?頭で色々考えてこう演じよう、とかこうしよう、じゃなくて、役が際立っていたり、キャラクタライズされててキャラ立ちしてるような役だと特に、それが下りてくるイメージ。
映画が公開される前にテレビ朝日で放映された「おっさんずラブ外伝」でも、牧は牧でした。呼吸が牧でした。
今更なんですが、牧が好きなんです。1年前にはこんな記事も書いてました。

牧が大きな画面で息をして動いて春田に文句言ったり笑ったりテンパったりしてるのを見れただけでしあわせな気持ちになりました。
でもね、牧があんまりハッピーじゃないんです。最初は香港にいる春田に会いにやってきたのに、部屋に見も知らぬ男が裸で寝てるし。
その後も仕事をやり遂げるために軸足を仕事に置いてる牧の描写が続いていって、春田が作った真っ黒な唐揚げや後片付けのできてない台所を見てため息ついたり、春田が「結婚」という二文字を出したことに対しても後ろ向きな言葉しか出なかったり。
春田を好きになって、自分を受け入れてもらって、相手からも愛情をもらって、本当ならしあわせすぎてラブラブな時期じゃないかと思うのですが…
牧が苦しい。
ほんとに苦しくてしょうがない。
「付き合ってください」と真っ直ぐに春田に畳み掛けた時の牧が居ない。
「だから何なんですか。俺は春田さんにとって恥ずかしい存在なんですか?!」と食ってかかった牧が居ない。
どこどこ。牧はどこ。
と思っていたら。
ようやく見せてくれました。花火に一緒に行きましょう、と歩きながら春田のネクタイを掴む牧。
たまたま全員集まってしまったサウナでのシーンの狂犬チワワ牧。
牧の気持ちが見えないよ…と思っていたけれど、決してその思いは薄くなったわけではない。それがわかっただけでもホッとしたのだけれど…
逃げ癖
でも、やっぱりどうしても気になるのが牧の逃げる癖。
「ま、いいや」と何回言っただろう。目の前に起きた問題(春田との)を先送りして背中を向け、とりあえず蓋をしてしまう。
見知らぬ男が春田の部屋に居た時も、「結婚」という言葉を使った春田に対して、焦ってやんなくてもいいんじゃないかな、と後ろ向き。春田の母から「友達」という言葉を使われて春田がそれを説明しようとしたのにも関わらず制止してすぐに実家に戻ってしまったし、せっかくの浴衣で花火デートなのに口げんかしてしまい、別れようと言われてそのまま売り言葉に買い言葉だった…(春田も悪いけど)
ドラマの時はあんなに真っ直ぐに春田に向かっていったのに。なんでだろう。どうしてだろう。
いろいろ考えました。いくつか理由があるように思いました。
牧は会社の中でもエリートの位置付け。映画の中でも思ったよりかなり仕事への傾倒ぶりがすごかった。プライド、高いですよね。繊細だし細かいし、でもだからこそ自分とは全く異なる春田に惹かれるんだろうけれど。
牧のこころを勝手に読んでみた
武川さんと付き合ってたころは、かなり精神的に楽だったんだと思う。同じセクシュアリティを持つ同士の気楽さ、同じ様な昏い思い、共有できる安心感などなど。
それが春田を好きになって、精神的に「ひとり」を感じる時間も増えてしまったのかもしれない。
春田は、ドラマで部長にプロポーズされ、結婚式までしようとした。部長も女性と結婚していたし、二人とも自分自身のセクシュアリティのようなものをそれまで突き詰めて考えた事はなかったんだと思う。部長から言われた、「結婚してください」というプロポーズをドラマの最後にそのまま牧に伝えられた事は春田にとっては牧との恋愛の「あがり」だったんだろうと思う。2人の気持ちが繋がっていればそれで全部大丈夫。春田らしいポジティブ思考もそこに加わって。
でも、長いこと同性を好きになることの難しさや周りからの目を感じ続けてきた牧は、この国で結婚とはどういう意味を持つのか、そもそも法律的に認められていない事実。春田の母からは「友達」としか認識されず、それ以外の可能性すら頭に浮かばないそんな世の多くの人々。そういうどうしようもない世界に住んでいる。ドラマの中で、春田を追いかける牧に対して、元彼の武川さんが、「あっち側の人間を好きになっても傷つくだけ…」という言葉を使っていたのも思い出す。
そんな複雑でもやもやした気持ちを抱える牧に、そんな事一切想像できない春田は歳上のくせに夢見がちなノーテンキ野郎にしか見えなくなっても仕方がない気がする。特にちゃんと仕事をして評価されたいエリートの牧に。
彼にとっての恋愛や結婚はままならないものであっても、仕事だけは誰にも負けたくない、そこだけは譲れないプライドというか、自分の努力ややる気で成果を出せる領域をなんとかしたいと考えるのは自然だと思う。ただ、それが牧の視野や思考を狭め、春田が作ってくれたという事実よりも、食べられるとは思えないくらい真っ黒焦げの唐揚げや片付けられてないシンクを見てため息しか出てこない。でもほんとしょうがないんだよね。
じゃあ、春田の思いに向き合って、自分の気持ちも開示してぶつかれば良いのにってこちらは思うんだけど、そこがやはり牧の若さで、言わなくても通じるって思っちゃってる。
だからこそ、若くて一本気な牧には、春田の危機的状況という「非日常」と部長の後押しの言葉と、その非日常の中での春田の一途な思いの発露が必要で、そこでようやく自分がどう考えているのかに向き合えたんだろうと思う。
監督と脚本家がやりたくてやったというラストの爆発。Twitterで感想を読んでいると、ドラマが好きでしょうがない人が映画に否定的だったりして、ふたりのいちゃいちゃや話し合いやいろんなことが少ないのになんであれ?っていうのも分かるんだけれど、多分そのままずっと日常を過ごしていっても牧は自分の立ち位置や思いを再認識したり考え直したりするフェーズにはいけない気がする。
2時間の中にいろいろ詰め込んでいて、春田と牧のふたりの関係の説明不足な面も否めないし、全てが満足というわけではないんだけれども、私は牧の苦しさに悶え、観ていて苦しくて苦しくて、お願いだからこの国でも異性同性関係なく結婚という選択したい人たちが選択できるように変わってくださいお願いしますお願いします、と祈り続けています。
同性のパートナーが病院で配偶者として認められるのが3割に過ぎないという記事を読んで、本当に、春田と牧が何かあった時にそれぞれがちゃんと配偶者として扱われる世の中になりますように。切に願っています。
最後に、素晴らしい文章を書く麒麟さんのブログ記事を。

おっさんずラブに関しては暑く書いてます。


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あじさい
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