小野但馬守政次の命日(4月7日)前日、柴咲コウさんがライブで、「ドラマ内の政次辞世の句」を詠んだと聞いて。
ここに書くのはだいぶひとり善がりな妄想が含まれていますのでご注意を。2017年にNHKで放映された「おんな城主直虎」にはまった私が考えたことを書きます。
白黒をつけむと君をひとり待つ 天つたう日ぞたのしからずや
歴史上、小野但馬守政次という井伊直虎の家臣が処刑されたとされるのが1569年4月7日。その命日の前日、直虎を演じた柴咲さんが自身のライブで詠んだという… この辞世の句はドラマ内で脚本家が作ったものだそうです。
彼女が直虎終了後に発表した「いざよい」という歌があります。
ドラマ直虎のファンとして色々深読みしてしまう歌詞なんです。そこに表れた感情は「直虎」としての気持ちではないにしても、役を演じた彼女の溢れる想いのように見てしまう。どうしても。
今回のライブでこの歌を歌った。辞世の句を詠んだ、と聞き、ううううむと唸ってしまいました。「いざよい」がコウさんの政次への想いから作られたものなんだ、という事が大きく私の中で決定的になりました。
「おんな城主直虎」で、直虎は最後まで政次の真の想いを知らずにいて、それがまたより一層物語にやるせなさや苦しさやしんどさを与えているのですが、神の視点を持つ演者であるコウさん自身は、政次の「くだらんぞ但馬」、も「では還俗して俺と一緒になるか」、も「今更嫁にもろうて欲しいなどと言うても願い下げですぞ」も、その真意も全部知ってる訳で、知りながら知らない直虎をずっと演じなくてはいけなくて、それはもう想像を絶する苦しさだったんじゃないか。

物語が終わった後、直虎として生きた自分がそこから分離していってどうしても直虎の鈍さ加減が歯がゆくて、政次への想いが溢れる世界Bの直虎という大河ドラマから派生した違う並行世界を生きてるのかもしれない。
「いざよい」の歌詞にそれが表れているように思えてしょうがなくて、私は政次が不憫だ、それを演じる一生さん大変だとばかり考えていたんですが、それは大きな間違いで、一生さんこそ政次として直虎を最後まで愛し彼女から刺され政次を十分生きられて昇華できたんじゃないか。
反対に、ずっと直虎として政次への感情をドラマ内で表すことが許されなかったコウさんは気持ちの区切りを付けるために自分の(直虎ではなくて)政次への想いをしたためて作品にするほど、どこかに想いをぶつけたかったんではないか、と今になって直虎を生きたコウさんのことを思いながら、直虎と政次との関係が思い出されていろんな意味で切なくて昨日はギリギリしていました。
政次も一生さんも不憫と言われながらも悔いなくその生を生きられて33話で本懐を遂げ直虎に射抜かれ看取られつつ逝ったと思うのだけど、その思いを知らず終わってしまった直虎を生きたコウさんだけ、どこにも思いを持っていけずに彷徨っていたりするのかも…いや、戯れ言ですけれど…#おんな城主直虎
— hydrangea@あじ (@hydrangea_11) April 7, 2019
しかしながら2年前のドラマなのにここまでひきずるとは自分でもびっくりしています。

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あじさい
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