しかし寒いですね。
私の仕事は一日パソコンの前で入力作業。時々睡魔が襲ってきましたがなんとか頑張りました。
いつもそばにあったスマホがないもんだからお昼休みにロッカーに行って緊急の用事がないかチェックするだけで、あとはお弁当食べて周りの方とちょっとお話ししたりして、手にスマホを持たずボゥっとすることって無かったことに気づきました。
強制的にスマホから遠ざかっていると、寂しいけれど頭に浮かんでくることがポツポツあるんですね。
我慢する人生は何かを許せなくなってしまうんだぜ。
— ニン&パイ (@shinobuk) March 24, 2019
ちょっと前にこのツイートを目にしました。我慢することで何かを許せなくなる。その通りだと思いました。
私は外で駄々をこねて泣き喚いている子供が苦手です。自分の思い通りになんでも選択して生きている人が羨ましくてしょうがないです。(外から見て。本人はそうじゃなくても)自分が制限されてきたことを自分の子供が堂々とやっていくことが最初は許せなくて苦しかったこともあります。
隣の芝生はいつでも青い。
小さいときは駄菓子屋でお菓子を買ったり屋台の食べ物を買うことを禁じられ、外泊することを禁じられ、結婚してからも夫の意向に大体合わせ、子供が生まれてからは子供のことを第一に自分の欲しいものがあっても子供にお金がかかるから家を建てるのにお金がかかるからとなるべく自分の欲を後回しにしてきました。
子供の教育にも目処がついて家も建てて自分の時間が目の前に広がっていて何をしてもどこに行ってもいいんだ、と心から思えたとき、自分の欲しいものは買っていこうと、家計を気にしないわけではないけれど、自分が欲するものにちゃんと向き合っていこうと久しぶりに賃金を直接貰える仕事をしながら思いました。
誤解しないで頂きたいのは、私は外で仕事をしなくても、家にいて家の仕事をすることは働くことだと思っています。直接賃金は発生しないかもしれないけれども、夫が働いて稼いだお金の一部は自分のものだとずっと考えてます。
だからお金を使うことは私の権利だし夫もそれに対して文句を言ったことは一切ありません。
それでも、自分が時間を労働に費やして得られるお金(まだ来月ですが)はかけがえのないものだろうなぁと想像します。自分が欲しいものをちゃんと買おうと思います。
物と同時にその満足感がこころを満たしてくれ、こころの潤いで自分も周りも笑顔になれればいいなぁと思っています。
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お越し頂きありがとうございました。
あじさい
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