子育ての「アガリ」に向けて。
最近気付いたことがありました。子育てで大事だと思った事。
ひとりで生活したことがない
結婚するまでずっと実家暮らし。結婚してから夫とずっと一緒。義実家に同居し一時期義妹とも一緒に住んだし、一人で暮らしたことは皆無です。
親は帰宅時間について厳しくて外泊なんてもってのほかだし、今思うとそれをなぜ抵抗もせずに聞いていたのか、わからないくらい疑問なんですが、その当時は親から嫌われまいと、親が言う通りの人生を送っていたんですよ。
結婚することで親から逃れられたと思ったのですが、結局それは夫に代わっただけで(それほどうるさい人ではないにしても)、自分が一人生きていくなんてことを考えたことすらなかったです。
これが私に足りないことだと気付きました。
と同時に、親が、子育てのアガリとして「一人で生きていく」ことを全く考えていないせいで、教わることがなかったと思いました。親のせいにしたいのではありません。しかし、子供を心配だからと行動を制限し頭を押し付け続けることは「一人で生きていく」事に逆行する行為ではないかと思うのです。
私の親は私が自分たちを超えていくことを恐れていたのでしょう。主体は子供ではなく、自分たちだった。そういう意味で教わらなかったという事実に気付きました。
どうやって
誰かと住んでいても、「一人生きる」エッセンスを感じながら暮らしていくことは可能だと思います。
人のせいにしない(親、夫、子供、友人などなど)
社会・時代のせいにしない(自分の若い時はこうだったああだったという愚痴)
自分を許す(間違えたりポカしたりした時にも自分を許す)
どう生きたいかを考える(頭を使う、流されない、スルーしない)
自分で選ぶ
私の父は自分の思い通りになる子供が好きで興味があります。そうでなければ眼中に入ってきません。そんな親に育てられると、自分がそこに当てはまるような努力をするようになります。これは子供にとって害悪以外の何物でもありません。
子供の考え、思いを尊重するよ、と態度でも言葉でも表そうと努力するだけでも違うと思います。子供は親の思う通りにはなりません。ならない、と気づくことから始める。
特に、高校受験や大学受験で親の言うことを聞いてしまうと、それが上手く行った時はまだしも、上手くいかなかった時には、子供は親を恨み続けなければならなくなります。
子供にとっては冷たいかもしれないけれど、高校受験そのものは自分で選んで行くものだ、親が言うから、周りがそうだから、学校の先生が言うから、という言い訳を許さないくらいの親の覚悟、義務教育は中学三年でおしまいだとわからせることが必要だと思います。
大学、専門学校など更に教育を受けるのであれば、それこそ子供の意志な訳ですから親が大学を決めたり、偏差値がこうだからここを受けろ、などと言うのはもってのほかだと思っています。
その代わり、高校にしても大学にしても合格でも不合格でも絶対に子供を責めないこと。ダメだなと(心の中で思ったとしても)子供には言わないこと。好きで不合格になったわけではないのですから、不合格で萎れた心に追い打ちをかけることは絶対に避けなければならないと思います。
独り立ち
高校や大学や就職先はそこで終わりじゃない、落ちてもなんとかなる、と親が思えることが大事なのかなと。難しいけれど。
学校なんてたかだか12年16年くらいのものです。そこからの長い長い人生、それをどう生きていくのか、それを考える方が大事だと思うのです。
私は大学に行かせてもらったことを感謝してはいるけれども、卒業後にどう一人で生きていくのか、そこが一番大事だった、それを20代でちゃんと考えなければいけなかった、と悔やんでいます。もちろん親だけのせいじゃないです。私の問題でした。だから私は反面教師として子供たちにはこの事をしっかり伝えているつもりです。伝わっているといいな…
娘が今就活真っ最中なのですが、地方から東京の大学へ出てきている友人の親が、就職は地元でしてほしいと願っているらしいです。どうしてかと言うと、東京の大学は親が成し得なかったことで娘に託し、それが終われば東京には用事はなく、親の側に帰ってこい、というような話でした。
う〜む。
親にとって、子供が一人で生きていく術を見つけること、仕事を見つけて自分で食べていけるようになること、それが全てだと思うんです。どこにいようがどこに住もうがそれはもう子供が自分で考えて決めること。
かなりショックでした。子供は親の駒じゃないんですから、そのお子さんが自分の意志で将来を決めてくれればいいなあと思うだけです。
子供の手を離す。経済的な援助を終える。そこから親子の関係はまた違う形をとっていきます。それがしあわせな形でありますように。
「自分の感受性くらい」を読んで自分を鼓舞しています。
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お越し頂きありがとうございました。
あじさい
コメント
とても心に響きました
一年前、大きなスーツケースを持った息子を駅まで送って行ったあの日を思い出しました。
最後の最後のその瞬間、我慢しきれずぽろっと涙を流してしまった私を見て息子は「えっ何で泣いてるの?」と心底驚いていました。
そのときは(なんて人の気持ちがわからない男だ)とその無神経な物言いにがっかりしました。
でもあれは私の、
『寂しい。本当は近くにいて欲しい。もっと一緒に居たかった』
というエゴをその別れ際まで上手に隠せていたから?
彼の目に私は
『息子の門出を喜んで送り出す母』
と映っていたからなのかな…とちょっとだけ思えました。ありがとう。
今、うちの娘も就活真っ最中です。
自分にとってベストな道を探る娘を、一抹の寂しさを隠して見守る毎日です。
追伸:「一人で生きる」エッセンス
心のブックマークに保存しました
潤さん、コメントありがとうございます!
子供の門出は嬉しいのに寂しい。親のエゴそのものだけれど心の中は自由なので
いくらでも感情を溢れ出させましょうね!それを隠せた潤さんブラボーです!
或いはその寂しさを息子さんも感じていてわざと、その言葉だったのかもしれ
ませんね。それはそれで親の思いを汲みながらそうとは指摘しない彼の方が
もう”うわて”なのかもしれません。何れにしても、産んだ瞬間から身二つと
なり、別々の人間になった子供の幸せを願うことしかできない我々のなんと
無力なことか… また飲みながら話しましょう。
まだやっと歩き出した子を見ていると、つい先回りしていろいろとやりがちですが・・・
しかし、少しずつ距離を置いて(もちろん目は離さず)自分でやる力を身につけることも息子がこれからの人生を生きていく中で大事だなぁと感じます。
まだまだ子育て序盤ですが、いつか自分たちの手から離れるときに一人でも生きていける人になってほしいなって思います。
ねりさん。
コメントありがとうございます!嬉しいです。
そうなんですよ、先回りしがちでレールを敷くことって魅力的でやってしまうんですよね…
でも、やっぱり子供を思い通りに何かさせようとすると後から逆襲が来るような気が
します。親の仕事は子供が自立して巣立っていく手助けをすることで、仰るように、
自分で生きていく力を身につけるよう見守っていくことが大事なんだと思います。
周りのリアルな友達とSNSなどでつながっている友達と子育てについての考え方の
違いってあるのかしら。(単なる疑問です) いろんな意見に耳を貸しながら
ねりさんの信じることを実践できていけるといいですよね!応援してます!!
先回りしてレールを敷くことがきっと安心につながるんだろうと思っています。
でも、(命の危険がない程度であれば)ある程度自由にさせたいなと夫と話しています。
変な話ですが、いつ私が死んでも生きていけれる人になってほしいなと。
リアルでつながっている友人との子育てトークは、個人的にとにかく否定せず、うんうん言っているだけなので、実は話すのが少し面倒です。
有難いことに息子は手がかからなく、今のところ特に問題もなくすくすく育っているのですが、友人の子供はもともと出生時に問題があり1歳近くなっても病院のフォローが必要だったりすることもあるので、そもそも同じ土俵ではないので話しづらいのもあります。(友人が躓くところでこちらがスムーズにいくことが多いので、結局参考にもならないでしょうし。)
ツイッターで育児アカウントを作っていますが(月齢が近い人たちとのコミュニティ)そちらは気が向いたときにつぶやき、疑問を投げかけると返ってきたりするので、どちらかといえば私はSNSのほうが自分には合っています。
ねり垢でも育児や人生の先輩方がたくさんいらっしゃって見守ってくださるので少し気持ちに余裕が生まれます。(あじさんや潤さんのお話聞いていて、いつか息子も巣立つ時が来るんだなぁ。と感慨深くなるのです)
ねりさん。
子供を介して知り合った方々との話はどうしても子供の成長の度合いなどが中心になって
しまいますよね。そしてやっぱり成長の早い遅いがお母さん方の心配の種です。出産時に
問題があったとしたら尚更だと思います。
私は長女と次女がそれぞれ成長が早すぎる子と遅すぎる子でかなり大変でした。両方同い年
のお子さんを持つ方が近所にいて、下の子の成長の違いが当時気になってしょうがなかった
ことを覚えてます。
その方とは子供の話だけではなく自分の趣味だったりドラマだったりの話で盛り上がって
子供が大きくなった今でも時々飲んでいる仲です。
ねりさんもそのお友達と、お子さんの話だけじゃなく自分のこと、趣味のこと、いろいろ
広がっていくといいですね。
あじさい