こちらのブログを読んで考えたことをまとめようと思います。

自分さえ我慢すれば
親の言うことを聞かないとダメだと幼少期からずっと思ってきていて、そこに条件付きの愛しかなかったと気付いた時にはもう40歳を越えていたと言う悲しい話。
家族だけではなく、いろんな環境で嫌なことを言われてもされても自分が我慢することでその場がうまくいく、和やかに終わるのを良しとしてきて、自分の気持ちを最後にしてきた事がどれだけ自分を傷つけてきたのかに気づきました。
上記の記事では、嫌な思いをしたけれども我慢をしたせいでモヤモヤが残って… と言うエピソードでした。そのような経験は誰にでもあって、それをお金で解決することもできるだろうし、お金じゃなくその場で起こる諍いや暗い雰囲気や気まずさを受容許容することでそのモヤモヤを溜めずに済む、と思うに至りました。
スルーしない
気まずさや争いはできるだけ避けたい。だから嫌な思い、モヤモヤしたどこにも持って行き場のない気持ちに蓋をしてスルーしてやり過ごすクセがついてしまいます。そうするとダメージは見えない形で積もっていくように思います。そして自分へのダメージ自体を感じなくなります。無感覚に陥っていきます。
そこにまず気づくこと。気づいたら、出来るだけ思ったことやモヤモヤを後からではなくその場で外に出すこと。そこで起きる結果については自分を大事にした結果なわけだからどうしようもない、と諦めること。
とにかく自分の思いを大事に
誰かの軸で生きない。自分の中に一本大きな柱を通す感覚を持つ。そして自分の思っていることを出すことは相手をないがしろにするわけではなく、反対に相手のことも尊重することに繋がる。
悲しいけれど、誰も、家族でさえも、自分を一番に考えてくれるわけではありません。血のつながりや夫婦の関係がそれを担保してくれるわけではありません。
であるならば。誰が自分自身を大切にするのか。
答えは明らかですね。
今日は自分への叱咤を込めて書きました。
お越し頂きありがとうございました。
あじさい
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