親とのことはここにいろいろ書いてきました。
親がふたり同時に病気になってから、親との距離も離れたり近づいたり、遠くに住みつつ出来ることをやってきました。今日は、先週、実家に帰ってきたときの話です。
受けられる補助がある
実家は30年ほど前に改築したとはいえ、古くて狭い家です。身体の動きが悪くなってきた母には廊下と玄関の段差もトイレが古くて気を抜くと水が流れっ放しなってしまうのもお風呂場に手すりがないのも、かなりストレスな筈です。
現在要支援1ですが、介護保険を使って家の改修をした場合に決まった金額が補助されるのは要支援でも要介護でも関係なく一律受けられる制度があります。
玄関やお風呂場、トイレに手すりを付けることは緊急にした方がいいと妹とも話をしてきました。ケアマネージャーさんにも話を聞き、あとはその改修をどうしていくのかを決めようと実家に帰ったわけです。
頑な
今までのメールのやり取りから、父は改修に前向きではないと感づいていました。そうしたら案の定、改修はやらない、というのです。
理由。
母のリハビリには手を入れない方がいいから。
まだ必要ないから。
嘆息しました。リハビリと、家の中の危険な箇所をそのままにしておくのは全く関係ないことを訴えました。何か事故が起きて取り返しのつかないことになって後悔しても遅い、と言いました。それでも私の話に耳を貸しませんでした。
母は、トイレを替えたいと前から言っていたのにも関わらず、その母の思いを全く聞き入れる気がないのです。父には改修をするということは母の病気を認めて降伏するようなものなのでしょう。
そこに母への思いやりは全くありません。中心にあるのは自分のプライドだけです。母がどうやったら気持ちよく安全に暮らしていくかの視点は全くないのです。
母の諦め
だいぶ母も弱ってきているせいか、同じ場所にいて話を聞いている母は自分がトイレを替えたいと思っていることは一切口にしませんでした。
脱力しました。子供である私の入る余地がないのだと思い知らされました。父がどう見ても母のことを理解しているように見えないのは、母自身も自分の思いを伝えることを怠ってきたからなのでしょう。
私や妹に対しては言いたいことを言っていても、夫の前では言えない。そんな状況を見ていて、私は悲しさでいっぱいでした。本当に私のできることはもうないように思えました。ただただ無力でした。
私の諦め
母の病気の進行をできる限り遅らせようと、ここ数ヶ月かなりの頻度で病院について行き、医師と話をして何をしたらいいのかを考えてきました。子供としての義務感もありますがそれだけではなく、出来るだけ穏やかに暮らして欲しいと思って自分にできることはないか考えてきました。
でも、今はちょっと距離を取ろうと思っています。私は両親のことが本当は嫌いなのだと認めようと思います。
子供の頃からの接し方育てられ方に対して全てケリをつけた気になっていましたが、親だからと言って愛する必要はないと思いました。そしてそれを伝える必要はなく、悲しませる必要もなく、淡々と接していこうと思います。
しかしながら。自分が父に似ているところがあることを薄々感じている憂鬱が心を暗くしたりもしてます。
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お越し頂きありがとうございました。
あじさい
コメント
あじさん、こんにちは。
ここ20年くらい自分と親との距離感をぼんやり考えていたのですが、投稿がずばり言い当ててくれて、何だかスーッと楽になりまし。
好きになる必要も愛さなければいけない義務もないんだと。
親なんだから、家族なんだから、と呪縛にがんじがらめ(いろんな呪縛がありますね 汗 )な自分にようやく気がついたところです。
あじさん、ありがとうございます。
この投稿を読んでいい娘じゃないと自分を責めるのはやめようと思えました。
まりんさん、コメントありがとうございます♪
親との関係で何が難しいかって期待してしまうことだったりするんですよね。
こちらがこう思ってるんだからあちらはこう思って当然、みたいな。
幻滅したくなくてスルーしたりしてきましたが、私の中でどう思おうと自分
が決めることだなって思って楽になりました。
親は親で自分の親からかけられた呪いでがんじがらめにキツイ思いをしてる
んだなってことも想像できます。お互い依存することなく自分の足で立って
生きていくことしかないのかなぁって思いました。
まりんさんに気付きが訪れたならこれ以上の喜びはないです。