「チャイメリカ」 を世田谷パブリックシアターで観てきました。

『CHIMERICA チャイメリカ』は、1984年生まれの英国の若手劇作家ルーシー・カークウッドにより劇作、2013年5月アルメイダ劇場で初演され、2014年ローレンス・オリヴィエ賞最優秀新作プレイ賞を含む5部門で受賞した社会派戯曲。ユーモアにあふれた軽快な会話劇でありながら、重大な歴史的事件を背景に、空間・時代を行き来する複雑な構造の本作に、日本を代表する演出家・栗山民也のもと、映像や舞台など多方面で幅広い活躍を見せる実力ある力強い出演者が挑みます。
前知識は必要か
タイトルの意味さえわからないまま、どうも天安門事件と2012年のアメリカ大統領選が絡んでいるらしい、とだけの知識で見に行きました。
それを聞いても、チャイとメリカが中国とアメリカを表してることすら気づかなくて…
映画もドラマもできればネタバレなしで観に行きたいと思っていて、知識がない状態でその作品から受け取るものが何かを知りたいというか。
でも、事前に色々調べたり勉強したり知識を得てから観て何を受け取るのか、も違う意味で興味深いので、どちらがいいのか決められないですね。どちらを選ぶか、その時のフィーリングでいいんじゃないか。
とは言え、私の世代の方はそうだと思うんですが、天安門事件については二十歳そこそこでニュースを実際見て知っています。その衝撃はなんとも言えないもので、軍が学生たちに銃を向けたあの夜のニュース映像はいまだに覚えています。
今の30代くらいまでの方達は、きっとこの事件は教科書でのみ、伝聞での知識だと思うので、その捉え方はどうしても違うものになってしまうのかなと思ったり。
そんなことを言い始めたら、人によって持つ知識は年齢関係なく違うものだし、受け取り方や感じ方が違うことが前提であるわけだから、作り手が意図したものが変調され変容され、時には過小あるいは過大評価されるのは全て作品の持つ定めと言うしかなく。
その変容具合が少ない作品もあれば、幅広い作品もあると思うのですが、このチャイメリカは打ち上げ花火のように、一度打ち上げられたらどこまでも広く多様に受け止められていくような作品だと思いました。
言語というものの限界
イギリス人の作家の書いた脚本を日本語に翻訳。舞台は中国とアメリカ。それを日本語で上演する。人名もオリジナルそのまま。英語や中国語で話しているという設定なのだけど言葉は日本語だから、見ていてややこしい。
中国語訛りの英語、というような設定(だと思うのですが)のセリフを中国語訛りの日本語で話す、という演出があったのですがそれは苦肉の策なんだろうと思いました。
言葉の使い方や言い回しも翻訳的で、英語に引っ張られている表現も多々ありました。
翻訳ってとっても難しくて、英語の意味を尊重すると日本語としてこなれたものにならなかったり、日本語らしくすると、本来の意味から離れてしまったり、それをどう回避しながら言葉を選んでいくか、翻訳者の苦悩は尽きないと思います。
そこを感じながら、敢えてこの作品を翻訳して今上演するのか、その意図のようなものを感じたい。それだけです。
真実とは何か
舞台は天安門事件のその日から始まります。ジョー(田中圭)がたまたま撮った写真を巡っての冒険、過去と現在が交錯していきます。
その写真は現実に撮られた写真で、その写真の持つ意味が何重にも考えることができて、見ているものを迷宮に誘うようで。
天安門事件そのものへの視線、中国という国へのイメージ、こちらから見えるもの、内部からしか見えないもの、そのどれが真実なのか。
マスコミの視点だけでいくらでも印象操作ができてしまうし、大国が国民から情報を奪うことだってできてしまう。なにが本当で何がニセモノで、私たちの見ているものは「何」なのか。
これまで信じてきた事は信じるに足るものなのか。
そういう揺さぶりをかけてくる作品だと思います。日本の中にいて、ぬくぬくとぬるま湯に浸かっている事を教えてくれます。政治に倦む日々を送りながら何もしないで傍観してるだけの自分にそれでいいのかと問いかけてきます。
ちゃんと自分の目で見ろ。自分の頭で考えろ、と訴えかけてきます。
俳優のはまり具合がすごい
それぞれの役の熱量感じました。はまり具合が素晴らしかったです。
推しでもある田中圭氏以外にジョーはいないとまで思いました。彼の持つイメージ、期待される仕草、物の考え方、喋り方、ジョーの造型そのものだろうと。
実際の氏の考え方などはもちろんわかりませんが、テレビの中で、舞台の上で、役として求められるものを器用に上手に周りに100%正解を見せてくれる俳優だと思うので、まさにジョーそのものでした、彼は。
主人公はジョーだったのですが、真の主役はヂァン・リン(満島真之介)だったのではないか。NHKの大河ドラマ「いだてん」では破天荒で元気な役なんです。彼のイメージぴったりで。でも、この舞台では、抑えた、静の演技。
過去から逃れられず後悔の日々を送り続ける人生。軽い調子で屈託ない性格、物事を割と楽天的に考えるジョーとは正反対の位置にいる彼の存在が舞台の肝だったと思います。
テス(倉科カナ)もヂァン・ウェイ(眞島秀和)の安定感も素晴らしいし、他のメンバーの方々も含めてチームワークの良さを随所に感じました。特にジョーの上司フランク(大鷹明良)の慈愛と優しさと厳しさの混在した佇まいには惚れました。
あんな上司がいたからこそジョーがジョーで居られたんじゃないかと思いました。
一回だけの経験
舞台は一回こっきりの勝負ですよね。もう二度と同じものは作り出せない、とよく聞きます。
映画やドラマなどの映像化されたものと違って、その場限りの生きたもの、には力があります。二度と観られないからこその楽しさ、寂しさがあって、それを見せてもらえることはすごいなと思います。
実は私はラッキーなことに今日またチャイメリカ を観にいくのです。今日の舞台で何を感じて何を掴み取ってくるのか楽しみでならないです。今日は今日だけの空間があるかと思うと心が弾んでスキップしてしまいそう!!!
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つい難しそうな、政治的な内容を避けてしまいがちです。楽しいことワクワクすることに目を向けてしまいがちです。でも、そういう視点を変えてみようと思わせてくれた舞台でした。
外国語への興味もまた湧きおこりました。英語を勉強し直そう、英語でのお芝居が理解できるようになりたいと思いました。お芝居が終わった後すぐに出たところにあったTSUTAYAでNHKラジオの講座テキストを買って電車の中でずっと読んでました。
自分の感情や脳に様々な化学反応をありがとうございました。
作品を作り続け演じ続ける方々を心から応援します。
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<追記>
昨今のコロナ禍で舞台関係への影響が大きすぎてショックが隠せません。
再開する劇場も増えてくるようです。
主催側の細かな対策と観劇する側双方ができること、感染者が出ないよう最後まで舞台が続けられるよう祈ります。
お越し頂きありがとうございました。
あじさい
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