今日はちょっと重い感じになりそうです…
親と子に横たわる 深い川
親子ってなんでしょうね。私は親でもあり子でもあり。
親との関係についてはたくさん思うところがあります。
親からされたことをそのまま子どもにもしてしまっているって、ずいぶん前に気づきました。次女が生まれて幼稚園、小学生になっていくにつれ。
当時悩んでいた私がネットで調べて調べて飛び込んできたある教育方法がありました。その教育方法にはお世話になりました。感謝しています。自分の手足にはめている枷の存在を知らせてくれました。
私と私の親との間にある深い深い川のようなものをあぶり出してくれました。
思い通りになる子
私は親にとって、思い通りになる子でした。成績も行いも、いろんな面で優等生でした。そしてそれをずっと続けてしまいました。
わがままを言ってはいけないと思っていました。
初めて反抗らしきものをしたのは高校生の時で文化祭の打ち上げをするという日に(その当時は高校生も居酒屋で飲んでました…)絶対行ってはだめ、と言われたんです。
それでも行った記憶があります。
そんなかわいい反抗くらいで、親の思うような進学をし、就職をし、気づいたら23歳になってました。
親を悲しませたくないけれど、親といるのは息苦しい。たまたま付き合っていたひとは地方のひとでした。結婚して家を出る。それが無意識に私が選んだ答えでした。
呪縛は続く
でも、離れたといっても親からかけられた呪いは終わることはなく。
次女が私の思い通りの発達をしない、勉強がわからない、どうにもならないと思ったとき、私には耐えられませんでした。娘を可愛いと思いつつ、面倒だという想いが募ったことは否めません。
父は、成績の良い、利発で明るくてなんでもできる私の長女が好きです。次女は言葉が遅いし口下手だったし、それほど興味をもちませんでした。
40になってキレた
自分の思いがいちばん。それを満たさないひとは要らない、といったところでしょうか。
私はそういうのを肌で感じてたんでしょう。愛情が欲しくて思い通りになろうとしてました。私の子供にもそれを要求してたんだと思います。
でも、ある日。次女が学校でいじめられている、私が学校にいって教師と話をしてきたっていうことを実家で話したんです。
そうしたら、父が「いじめられる方も悪い」と言い放ったんです。
私はキレました。それはもう初めてといっていいくらい、大きな声を出して抗議しました。それ以来、そういうことは口にはしないようになりました。でも…
次女の告白
今年受験をしている次女。長女は父が理想とするような進路を辿っています。でも次女には興味がないようです。その興味のなさを目の当たりにしたとき、ああ、だめだなぁ… と思いました。直接抗議するべきでした。でもしなかった。ぶつかるのはしんどいから。
でも。
この間次女と話していたら、初めて教えてくれたことがあったんです。
小学生の頃に通知表を見せても、父(祖父)は何も言ってくれなかったと… 母(祖母)はがんばったねと言ってくれるから見せてたけれど、何も言ってくれないからもうそれ以来見せるのはやめたと…
申し訳ないことをしたと思っています。小さな胸を痛めていたのをわかってあげられなかった。やっと気持ちを吐露してくれたことでこのままじゃだめだ、と思いました。やっと父という私の中での巨大な鎖のような枷のような、自分で作り上げた幻想のようなものを断ち切ろうと思いました。
なぜ思い通りにしたいのか
私は一気にではないけれど、ひとつずつ枷を外している感覚があります。
母からの枷。義父母からの枷。義姉妹からの枷。でも、これって自分で作っているものなんです。自分で作っておいて苦しんでいる。
これで最後かな。
なぜ子供や孫を思い通りにしたいのか、期待してしまうのか、その原因を探っていくうちに、わかってきたことがあります。
きっと、自分の人生に納得していないんだろう、と。
自分の人生のやり直しを子供や孫に託してるんだろう。自分がいけなかった大学、入れなかった会社、自分の代わりに実現してくれる存在をひたすら追い求めてるのかもしれない…
そう考えていたら、なんだか哀れになってきました。許せるような気持ちがしてきました。
私のできること
父親が次女に対してとってきた態度。それを問い詰めることもありだと思います。実はしたくてたまりません。
大きな声で、私にも、孫にでさえあなたは条件付きの愛情しかくれないのか、と。言いたくてたまりません。
でも、そう言ったとしても私の真意を理解してくれるかどうか。わからないままで終わることの可能性が高いです。
だったら。
私が父のもう一度やり直したかった人生を生きることをやめよう。そしてその人生を私の子供に押し付けることをやめよう。
それだけなんじゃないか、と。
こないだ観ていたドラマでこんなセリフがありました。
私はママじゃない。
私は臆病でずるくて…ママに嫌われたくないからママの顔色ばっかり気にして。ママの気に入る事だけしてうまくいかない事があったらママのせいにして自分をごまかして。
自分の好きなものも分かんなくて、平気で嫌いなスムージー飲んでワンビース着てにこにこ教壇に立って。
「お母さん、娘をやめていいですか」から
私は親じゃない。親の人生を生きてるわけじゃない。同じように、私が子供の人生を生きているわけじゃない。自分の子供も私の人生を生きてるわけじゃ、もちろんない。
そんな当たり前の、決まりきったことを改めて考えなおさないといけないくらい、私の親との関係は歪んでいました。
ようやく私はスタートに立てたような気がするんです。
こないだふと見たTwitterで、
子供を他の子供と同じじゃなきゃ不安だって言っている親はかわいい子供のことをものすごく安くしてしまっている
というようなものを読んだんです。
なんかガンと殴られたようでした。
終わりに
ここまで書いてきて思うのは、親からされたこと、条件付きの愛情の代償として私が払ってきたことは、結局自分が選んでいたことなんだなぁと。
気持ち次第で世界はひっくり返る。でも、気づかないとひっくり返せない。
まだきっと終わりじゃない。
でも、一歩踏みだします。
相談している友人から言われた言葉にも勇気と希望をもらいました。
本当に本当に感謝しています。
カルテット8話で、マキさんが義母に言われてました。
「自分の人生を生きなさいね」

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