吉田秋生、好きです。
海街diary
BANANA FISHから始まって、桜の園、ラヴァーズキス、夜叉。ひりひりするようなシーンが中毒性があって、どこか抉られている自分を自分で眺めながらも読み続けずにはいられない、そんな漫画が多いなか。
これはそれまでとはちょっと違ってほのぼの系な見た目。でも、見た目だけで、設定などは結構えぐみがあります。興味のある方はこちらをどうぞ。
何回も読み返しているので、内容は頭に入っているんですが、その時々で気持ちに刺さってくる場面や台詞が違ってくるんですよね… そこが面白いところでもあるんですが。
痛みは共有できるか
今回たまたま読み直したのが、4巻「帰れないふたり」。
主人公の所属しているサッカーチームのある男子(彼女はちょっと好きだった)が病気から片足を切断していて、落ち込みながらも義足を付けて以前にも増してサッカーに打ち込んでいたところ、身体の成長と共に義足を新調しなければいけなくなります。
新調するということは、またその義足をつけてサッカーをする為には一から調整をし直さなければいけないということ。元気そうに見えたその男の子が学校に来ず、皆が心配して探しまわり… という展開。
登場人物の中に、スポーツ店の店長がいるんですが、その店長、登山が趣味で、エベレスト登山中に遭難しかけ、凍傷で足の指を3本ずつ失っています。そこのお店に彼が現れます。
友達が自分のことを心配してくれるのはわかるけれど、正直ウザいと思う時もある、足を失くしたことのない者に自分の気持ちはわからない、と嘆きます。
それに対して、その店長は、君だって目が見えなかったり耳が聞こえなかったりする人の気持ちはわからないだろう、と問いかけます。痛みはわからない。友達は何もできない。どうすることもできないことも知っている。でも彼らは心配している、じっとしていられず君を探し回っている。ただそれだけでいいんじゃないか、と。
自分にしかわからない痛み
誰にでもあると思うんですが、失敗したり挫折したりした時の気持ちや痛みって後を引くんですよね。
私、未だに教師やってた時の夢を見るんですが、昨日も、授業の準備全くしてないのにたくさんの先生たちが見る中で授業やらないといけないっていう悪夢のようなシチュエーションが夢に現れ、朝から鬱…
まだ忘れてないんだなぁ。気持ちの底にはまだまだ連綿とあの頃の苦いものが流れているんだなぁと知りました。
こんな痛み、自分にしかわからない。と思いました。
この漫画に出てくる義足を新調しなければいけない男の子。せっかく頑張って調整してきたことが全て無くなってしまい、無力感に苛まれ、それを心配してくれる友達のことは心ではありがたいと思いながらも、自分にしかわからないことだと反発するシーンを読んでいると、その人の痛みはその人だけのもので、誰にもわからない、と思う気持ち、よおくわかります。
受験に失敗したことがない人は、した人のことはわからない。
恋愛に失敗したことのない人は、失恋がどんなものかなんてわからない。
事故に遭った事のないひとは、事故で悲しい思いをした人のことなんてわからない。
確かに、ほんとにそう。
でも。
共有したい
私はカッコ悪いのもあって、二人の子供たちに、自分がどうして仕事を辞めたのか、その詳細は伝えてありません。4年近く経った今でもそんな夢をみてしまうことに驚いて、今朝、そんな夢のことを子供に伝えてみました。
そしたら、ちょっとだけ気持ちが楽になりました。カッコ悪い自分を認められなくて内の底へ埋め込んでいたものをちょっとだけ出せました。
おもしろくて好きなドラマの感想を言い合って気持ちの共有をしたいように、苦しい気持ちも誰かと共有したい。そんな気持ちが生まれたのかもしれません。
漫画のその男の子は、エベレストで死にかけた店長の話を聞いた後、自分を心配してくれる友達の思いを汲みます。
例え、喪失感や痛みが無くならなくても、誰かと共有することで薄まっていくことはあるのかもしれない。
その男の子は、遭難で足の指3本を失くした店長と思いを共有したことで前へ進もうと思えました。
汲む
自分の痛みは自分しかわからないと殻に閉じこもる気持ち、わかります。でも、誰かと共有すると、他のひとの気持ちを汲もうと思えるようになるような気がします。
私だけ、私だけがつらい。と思い込む場所から、ちょっと先へ。
漫画やドラマ、文学や演劇、そういうものに触れると、ちょっとしたヒントや癒しや啓示をもらえたりしますね。ものがたりを求めるのはそういう理由からだったりします。
単なる娯楽としてでも、何かを教えてほしいという欲求からでも、ものがたりに触れていたいと思います。皆さんのおすすめ、もしあったら教えて頂けると嬉しいです。
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お越し下さり、ありがとうございました。
あじさい
コメント
私も未だにあじさいさんと同じように夢で魘されます。
最近読んだ本に、トラウマは人に話さないと解放できない。
いくら忘れようとしても、忘れたと思っても蓄積されていき地雷のようになってしまいます。と書いてありました。
私もずっと、トラウマのことなんて誰も理解できないって閉ざしていました。
でも、去年療養する機会があり、そこで話すことの必要性を初めて実感しました。
ちょっと上手く表現できないのですが、色々思うことがあったので^-^。
支離滅裂なコメントですみません。
megさん、コメントありがとうございます。
私もずっとしまい込んできました。外へ出すには時間かかるし勇気も要ります。でも、一度出してしまったら、後はするすると話すことができたのでびっくりしています。
ようやく悪夢から逃れられるのでしょうか。それともまだまだ終わってないのかな…
いずれにしても、誰かに聞いてもらう、文章にすること、はとても大事だということはわかりました。
またいつでもいらしてくださいね。お待ちしています(#^.^#)