[ふれなばおちん]原作マンガとドラマはまったくの別物

ふれなばおちん

最近、検索から訪問される方が多くて原作のマンガからかな??と考えてたら原作を読み直したくなりました。

原作とドラマの違い

2016年6月、NHKでドラマが始まって、先が知りたくて原作マンガをダウンロード、1日で一気に読みきりました。いやぁ、終わった後の気持ちたるや、読んだことのある方だったらこのどこにも持っていけない気持ち、わかって頂けるかと思います。

結末についてはまず脇に置いておきます。この原作、とても面白いです。丁寧に主人公夏の気持ちの変化や容貌の変化を見せていって、揺れる思いを読者に追体験させてきます。

ドラマはこの原作のエッセンスを掬い取りながらも別物なんですよね。いやもちろん原作に出てくる場面やセリフがそのままの所もかなりあります。それでも、主人公たちの年齢を下げた事、これはかなりでかいと思うんです。

主人公他登場人物の年齢

原作→夏40代、龍30代に対し、ドラマ→夏30代、龍20代。家族構成、龍の仕事などの設定は同じ。龍の年齢に関連してだと思うけれど、若林が原作では30代、ドラマでは20代。

夏の夫、上条義行の年齢はそのままな感じ。原作では同年代から二、三歳違いだったのがドラマでは10歳くらい空いているイメージ。また、夏の年齢を下げたことで、小牧さんの年齢も40代から30代になった気がする。

なぜ年齢を下げたのかなぁ。と考えてみてます。

夏を原作そのまま40代にしなかった理由。これ、かなり制作側の意図が働いてますよね。主役のハセキョーありきだったのかなぁ。原作の良さっていうのは容貌も身なりも気にしなかった夏が龍と知り合うことで痩せていき綺麗になりたいと思い、少しずつ変化していくのを楽しむっていうのがあって、それをいきなりハセキョーをもってきたら最初からとにかく綺麗なのです。

娘が忘れたノートをパジャマのままで届けに行くっていう場面も、原作みたいに別にそれほどひどくはない。夏という人物描写が初めから違うんです。ドラマでの世界観を別に作りたかったのだろうと。身だしなみはそれほど気にしない程度。夏の変化にフォーカスするんじゃなく、夏と龍の関係性にスポットを当てたかったのかな。

原作11巻を全8話に収めるにはもちろん端折らないといけないですもんね。ただ、夏が最初から綺麗だから龍が惚れたっていうのもあるのかな、とも取れちゃうんですよ。ドラマだと。もちろん、夏の、家族をいちばんに考えるところや家のことをテキパキするところ、天然なところなどなどが魅力的で惹かれてくのですが。原作は違います。夏がまさにおばちゃんで太っていて洋服も髪型にも全く頓着せず綺麗になる前から龍は夏に惚れちゃいます。

小牧良くん

母が他の男性の元へ行ってしまって父と取り残されてしまった良くん。母への怒りで部屋で荒れる良くんを止める龍。そこから夏と龍を近づけます。原作では、何かにつけ世話をしてくれご飯を食べさせてくれる夏のことを見ていて、龍が良からぬ気持ちを抱いていることを見抜き、とてもとても心配します。

その良くんの気持ちがね、読んでいてとっても暖かくなります。ドラマではどうしてもそこまで描けませんもんね。

夏の夫、義行

これがねぇ、ほんと違うんですよねぇ。ドラマでは鶴見辰吾が演じてるのですが、カッコいいしスマートなの。他の人を好きになっちゃうくらいイヤな夫でもない。

原作ではイヤらしいんです。なんかね、人として。鶴見辰吾はね、アッサリしてる感じ。

雨と傘のシーン

ドラマでは3話でした。突然の雨に義行のために傘を手に持って駅に向かう夏。途中で龍の姿を見つけ… このシーンが秀逸でした。何回観たかわかりません。ほんとに夏の気持ちの揺れとか龍のジェラスとかとにかくほんとに素晴らしい!!!!原作より好きです!

原作は駅に傘を持って迎えにきた夏がたまたまそこにいた龍を見つける、というシーン。ドラマティックさで言えばドラマの方が勝ちでした。

原作とドラマで同じセリフが切ない

挙げていくとキリがないんですが、原作とドラマで同じセリフを使っている中で一番好き、というか切なくて気持ちがゴリゴリ削られるのがあります。

オレは君を幸せにできないけど
君はオレを幸せにする

ラストに近い場面。龍が芝居の中の台詞として夏に対して語りかけるところ。夏のパート先での上司が働いている最中に夏に暴言を吐いているところに通りかかった龍は、助けたいのに疑惑を向けられる可能性があるから助けられない。そこへたまたまやってきた夫の義行がその上司に抗議しパートを辞めさせるというエピソードがあって、自分は夏が好きでしょうがなくて守ってあげたいのに何もできなくて、その現状にショックを受けるんです。

それを受けての台詞。

好きな人を表立って守れない龍の悲しさが湧いてきて泣きます。

ラスト

今でもドラマの最終回が観れないです。観てないけれどラストシーンは脳裏に刻み込んでるように覚えています。龍が九州に一緒に来て欲しいと言われイエスと言うことができず家族を選んだ夏。龍のことはもう考えないでこれから暮らしていこうとする夏。そして。家にかかってくる若林からの電話。病院に担ぎ込まれたとしか情報はなく、芝居の中で言った台詞「あなたのいない人生なんて要らない」と呟く龍が現れ、夏はその場に倒れ込み、終。

はぁぁぁぁぁぁぁぁ。

この最後はないよ。ほんと辛かった。だって生死をこちらの視聴者に丸投げなんだもの。で、書いた記事があの記事なんだけれども。

対して原作。

龍はお芝居の立ち上げで沖縄に旅立っていった。夏の龍に対する気持ちは変わってはいない。「次の世でまた出会えたとしたなら」と言う言葉を使ってはいるけれど、好きな気持ちが深く残っている。

そして、龍が運転する車に、携帯の操作をしていた対向車がぶつかってくる… そして夏の独白。

「次に彼に触れられたら わたしは今度こそ落ちていくだろう おんなとして 深く 深く どこまでも どこまでも」

ここで終わり。

生死がはっきりしないのはどちらも。ただ、夏の「次の世で」の言葉は、やはり龍は死んでしまったのだろう、と考えずにはいられなくて、どちらにしても2人はこの世で結ばれることはない。不倫をしようとした罰、のようなものを感じてしまう。

ラストだけを見ると、私はこのお話が好きなのか嫌いなのかわからなくなってしまうんです。そこに至るまでのストーリーが好きなだけに、夏と龍の2人が好きなだけに。

ラストの龍の生死をぼかすのは同じ。でも、夏の龍への想いの強さは原作にはあるけれど、ドラマにはないんですよね。そこが大きな違いかなぁ。もちろん若林からの電話を受けて床に落ちる夏の姿が龍への愛が残っていることを示しているのかもしれないけれど、そのニュースを受け取るまではもうサバサバと、過去のことになっていたように見えました。

最近、ドラマで龍を演じた成田凌の新しい映画のビジュアルが龍を喚起させて苦しいんです。でも、龍がもし生きているとしたらこんな感じだったかも、と楽しみを見つけたようで嬉しさもあるんです。公開が待ち遠しくてなりません。


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お越し頂きありがとうございました。

あじさい

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